沖縄は昨今脳天気な一般ピープルでも余裕で観光旅行をかますような土地柄であるが、沖縄返還前までは奄美大島から与論島までの奄美諸島が日本におけるトロピカル観光地で、まだ海外旅行が今ほど盛んではなかった1970年代までは本土の人間がこぞって奄美大島に新婚旅行で来ると言った時代もあったそうだ。そんな奄美大島の中心市街地である名瀬は、アーケード商店街まであり結構な繁華街であるという。
旧名瀬市の中心市街地である名瀬郵便局付近が奄美大島の中で最も都会ぶった場所となっている。名瀬港や屋仁川通りも歩いて行ける範囲にあるし、市街地はこの付近にコンパクトに収まっているという訳だ。
しかし、島で最も一等地であるはずのこの交差点沿いに立ち並ぶビルの多くはかなり古びた佇まいで、空き店舗のままになった箇所も多いので、やっぱり寂れているという印象は最初から持ってしまう。
外観コンクリート剥き出し系なこちらの4階建て雑居ビルも、昭和な佇まいが半端無く良い感じだ。一階部分は空き店舗、宝くじ売り場、二階が雀荘とビヤホールと、全く小洒落た感じがしない。同じ目抜き通りでも沖縄の国際通りあたりとは全然毛色が違う。しかも隣のビルにはサラ金ATMと、全く夢もへったくれもない。しかしなぜかこんな島にまで「ゴーゴーカレー」が出店しているのは意外である。
名瀬郵便局の真向かいから伸びるアーケード商店街の入口が目に付く。「名瀬中央通りアーケード」という商店街で、戦後しばらく経った昭和39(1964)年にアーケードが完成してから現在半世紀を迎え、現在も名瀬市街で代表的な商店街となっている。九州最南端のアーケード街でもある訳ですね。今では「ティダモール中央通り」という愛称もよく使われている。
そんなティダモール中央通り、奄美方言で言う「太陽」の名が付いたアーケードは全長約200メートル、2006年に全面的に架け替えられ、遠隔離島らしからぬ近代的な佇まいに、奄美大島が意外に都会だったと錯覚しそうになる。服屋のセンスが多少ババ臭い事を除けば普通に九州各地にある商店街のそれと遜色ない。
そして、ちょいちょい何の気なしにタコ焼き屋があるというのも、西日本寄りの食文化だからというよりも、大阪方面に出稼ぎに行った出戻り組が商売でもしてるんだろうかと邪推してみたくなる現象の一つである。大阪や尼崎のド下町ゾーン(特に市営住宅)には本当にびっくりするくらい奄美群島出身者がいるのだ。
鹿児島県を中心に展開するローカルスーパー「だいわ」の店舗もアーケード内にファッション館、アーケードを外れた所に食品館の二つの店舗を構えている。奄美大島で最先端のファッションを身につけるならここしかないのだろうか。
「だいわファッション館」の先に奄美群島土産と伝統特産品である大島紬を販売している「紬のとくやま」の店舗があり、ここだけは観光地の土産物屋然としているのだが、沖縄の国際通りやらあのへんと比べると観光色は薄いですね。
ご立派な店の看板もどこかで見たような三色のラインが入っていて、あーそうかそうか!と納得して頂ける事請け合いである。かつての奄美大島では大島紬が主力産業で、この商店街が出来た頃も大島紬の生産が盛んで景気が良く、人通りが絶えない程だったという。和服の習慣が廃れていくとともに大島紬も衰退の一途を辿っていて、今では信仰に頼らざるを得ない…って、そんな話ですか。
この奄美大島、実は日本屈指の創価学会員率を誇る島でもあるらしい。当方が読んだ事のある佐野眞一氏の沖縄本にも書いてあったんですが、奄美諸島の貴重な足となっている「マルエーフェリー」の会長も熱心な学会員で、会長室には大作先生直筆の揮毫色紙を掲げている云々…おや、誰か来たようだ…とにかく米屋の車に書かれた「米」のマークにまでいちいち三色のラインで引いてるんだもん、熱狂的すぎる…
他にもアーケード街には最近あんまり街中でも見かけなくなった個人経営のCDショップなども見かけられるんですが、このへんでアーケードが途切れてしまうので、今度はアーケードの東側一帯に広がっている商店街の様子も見ていく事にする。
ティダモール中央通りの他にも末広本通、奄美本通、銀座通りなどといった様々な商店街が縦横無尽に広がっているが、結構あっちこっち歯抜け状態になっていて、栄えているのか寂れているのか分からない様相を呈している。
再開発中か何かでフェンスで囲われた一画を見ると、奄美大島にまつわる色んな名物について説明書きが記されていて思わず立ち止まって読んでしまったのだが、奄美群島に来たら必ずスーパーで牛乳パックに入って売られている「みき」はかなり特異なご当地ドリンクなので皆様行かれた際は一度は飲んでみましょう。みきは沖縄でも作られているが、それほどポピュラーな飲み物ではなく、主な生産地はやはり奄美である。