あの世に思いを馳せる場所…津軽霊場「川倉賽の河原地蔵尊」 (全2ページ)

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青森県をはじめとして東北各地で独特の地蔵信仰が盛んである事は以前の恐山でも窺う事が出来た。しかし現実の恐山はあまりに観光地化し過ぎていて、三途の川の前で記念写真を撮ったり恐山アイスを食ったり温泉に浸かったりとかなり俗っぽい一面もある。

しかし霊場は何も恐山ばかりではないのだ。津軽五所川原の金木町、芦野公園を対岸に挟む藤枝溜池(芦野湖)の向かい側にひっそりと佇む「川倉賽の河原地蔵尊」は、今も根強い地蔵信仰のメッカとして静かに時を刻んでいる。

桜祭りで渋滞が激しい芦野公園の脇を抜けて、藤枝溜池を半周した場所に賽の河原地蔵尊の入口がある。ご覧の通りの黄色い看板が目印になっているので大変分かりやすい。

地蔵尊への入口脇にも、それぞれ服を身につけたお地蔵様が穏やかな笑顔で出迎えてくれる。ようこそお越し下さいましたと言わんばかりのテンションである。

賽の河原地蔵尊の最もコアな部分は境内正面に建つひと際大きな地蔵尊堂の中であるが、ひとまず地蔵尊堂に入る前にその左側に「賽の河原」への道が続いているので、そちらに向かおう。

「賽の河原」への入口に、大きく賽の河原地蔵尊と書かれた石碑が立っている。賽の河原とは言うがその正体は坂の下に広がる藤枝溜池である。しかしその途中の光景はまさに冥土に至る森の中のような佇まいを見せていた。

坂の手前の地面には大量の風車が突き立てられていた。赤色、黄色、ピンク、青、目立つ蛍光色が多用された風車は、それぞれ一本毎に幼くして命を落とした子らの存在を伝えているかのようだ。

その先の下り坂に目をやると、森の中のあちこちに服を見にまとったお地蔵様と風車が、まるで森の中に棲む妖精の如く佇んでいた。

地蔵尊堂を見上げる山道に、来訪者を迎え入れるかのようにそれぞれ違う服を身につけ、それぞれ違った身なりをしたお地蔵様。ここは現世と涅槃を繋ぐ道。不幸にして今生の別れを喫した人と人との魂の接点である。

真っ白な石灰石が一面に広がる恐山とは全く違って森の中に佇む賽の河原地蔵尊では落ち葉や木々に隠れて少し目立たないが、やはり恐山同様にお地蔵様の回りに石が積み上げられているのが見える。

所々、まるでバス停の待合所みたいな形の祠が建っていて、その中を見ると線香立てと大小様々の衣服を纏ったお地蔵様が沢山置かれている。

祠によってその形も、置かれたお地蔵様も、線香立てが置かれていたりいなかったり、状態はまちまちなのだ。

しかし、とある祠をよく見ると一部が焦がされて黒ずんでいるではないか。線香立てが転げて焼けたのかも知れない。

森の中の山道を真っ直ぐ下っていく。祠がある程度の間隔で並んでいるだけで、他に「生きた」人の姿を目にする事もない。ひたすら静寂に包まれている。

来た道を振り返るとこの通りだ。坂道を下る度に道がぬかるみだし、足を滑らせそうになる。もう二度と戻ってこれなさそうな雰囲気すら漂う。

しかし、坂道を降り切ると草むらの間からは藤枝溜池(芦野湖)の様子を見る事が出来る。遠くで音楽が聞こえるのは、ちょうど芦野公園の桜祭りがあるからだろう。急に現世に引き戻されたような感覚に襲われた。

だが先の道は「橋が壊れています。」という事で通行禁止にされてしまっている。この先に進むと本当にあの世行きになってしまいかねないので、ひとまず退却。

お地蔵様の視線を浴びながら坂道を再び登り切る。地蔵尊堂ではない側に登り切ると「芦野遊歩道」と書かれた看板が来た道の方向に矢印を示していて、気が抜けそうになった。賽の河原じゃなくて遊歩道なんですね。行政的には。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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