あの世に思いを馳せる場所…津軽霊場「川倉賽の河原地蔵尊」 

青森県

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この地蔵尊の歴史はおよそ170年以上も前と言われていて、旧暦6月22~24日までの期間に行われる例大祭ではイタコの口寄せも行われる。しかし普段は死者を弔う為の場としてひたすら静寂に包まれているだけだ。

賽の河原地蔵尊に来たらこの地蔵尊堂を見ずに帰る訳にはいかない。周囲のお堂とは明らかに大きさも威厳も違う。そしてやはり、ひっそりと静まり返っている。

恐る恐る入口の扉を開くと、その中は線香の香りに包まれ、正面には人の背丈程の大きさがある地蔵尊が7体並んでいた。手前には供え物として沢山のお菓子や風車、バケツに入った花が手向けられている。

正面に佇む地蔵尊、その回りには参拝者が奉納したと思われる様々なお供え物や暖簾状の飾りが大量にぶら下がっている。その場に訪れてこの光景を初めて見たのなら、言葉を失いそうになるだろう。

言うまでもなくこの地蔵尊堂は生者と死者が向き合う場ではあるが、供え物が置かれた机の上にはなぜか「おみくじ箱」まで置かれていた。

さらに凄まじいのが地蔵尊の裏側一面にびっしり並ぶお地蔵様の存在だ。みな思い思いの服が着せられ、化粧をしているものしていないもの、大きさや形や表情が違っている。

よく見ると「ア」「カ」「サ」「タ」「ナ」などとカタカナ順に並べられているのが分かる。死者の氏名順にお地蔵様を祀っているようである。決してNHK紅白歌合戦の観客席・霊界バージョンではないので不謹慎な想像を巡らせるのはやめておこう。

しかし、まさにスタジアムのようである、という表現がピッタリである。そのお地蔵様の数、およそ2000体。皆一体一体ごとに、人の死、家族の別れ、それぞれの悲しみと感情が込められている。

そしてお地蔵様だけに留まらず故人の遺品が壁から天井から大量に吊るされている様子は特に生々しさを感じる。紳士服はサラリーマンだった故人だろうか、サッカーボールは少年だった故人だろうか、それぞれの人生の痕跡を残している。

祭壇の横側にも大量のお地蔵様や遺品とともに草鞋が積まれているのが見える。死出の旅路を乗り越える為にと生者から手向けられる祈りの草鞋だ。よく見るとその下にも故人が履いていた靴が沢山並べられているのがわかる。

お地蔵様が並ぶ雛壇の上にもずらりと故人の着ていた衣服などが吊るされていた。他にも千羽鶴や、明らかに子供とわかるサイズの服、赤ちゃん用メリーゴーランドなども吊るされている。

祭壇の前に置かれたロウソク立てには、まだ参拝者が来て間もないのか、火の付いたロウソクが3本立てられていた。

特段霊感が鋭いだけでもない我々でも身の引き締まる思いがした地蔵尊堂を後にすると、玄関前には地元NPO団体のスタンプラリー案内板が置かれていて、ちょっと脱力してしまった。

またしても時間の都合で全て回りきれなかった訳だが、賽の河原地蔵尊にはこの地蔵尊堂だけでなく、人形堂というのもある。

伴侶を得られず独身のままこの世を去った故人を弔う為に架空の伴侶を象った夫婦の婚礼人形を奉納しあの世での結婚式を込めて祈る「ムカサリ」という東北地方独特の風習の一種が残っている。

川倉賽の河原地蔵尊に納められている遺品の数々や信仰の厚さを考えると、むしろ恐山以上の濃密な空間であるとも言える。ある意味最も「あの世」に近い場所なのかも知れない。


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