財政破綻の街「夕張」を歩く 廃れ行く南部地区

清水沢から夕張本町方面とは別に分岐する国道452号(夕張国道)を登っていくとその先には南部という街がある。街はおおまかに西側の遠幌、東側の南大夕張に分かれているが、今回は南大夕張のみを見て回った。
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国道沿いを走っているだけでも南部地区自体も昔はかなり大きな街だった事が分かる。人口は5年間で3分の2に激減、インターネットはADSLすら繋がっていないという超過疎地帯。この先の大夕張地区はシューパロダムの建設により集団移転し廃村となったため、この南大夕張が最奥部の集落となる。


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鉄道はとっくに廃線となったため公共交通機関を使うとすれば南部地区へのアクセスはバスのみ。終点の南部バス停で降りるとこの場所に着く。時間の限られた我々旅行者は当然ながらレンタカーで来た。ガラーンとしていてどうしようもなく寂しいが、一応商店街らしきものが残っている。
「南部」と聞くと文字通り夕張市の南部かと勘違いしそうになるが、大夕張地区の南側にあったからそういう地名なのだ。もっとも元々の地名は二股と呼んでいたが大夕張、南大夕張、南部と、時代とともに何度も名前が変わっている。
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商売は辞めてしまったのかどうか定かではないが大きな店の看板がそのままになった園芸店。看板にある「夕張の花」って何なんでしょうかね。
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殆どの店が潰れているものの美容室と理容室は現役。いくらジジババになっても髪の毛だけは伸びてくる訳で最後まで街のために頑張っているようだ。
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例に漏れず廃屋の多さも際立っている。木材会社の事務所と思しき建物は何年前から放置されているか知らんが壁は半分くらい崩落していて痛々しい外観を晒していた。
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南部東町交差点からT字に分岐する道を下ると廃墟商店街のある南部青葉町に行く事が出来るが時間の都合上今回は行かなかった。廃墟だらけの街並みに建つ公明党ポスターは寒々しい。
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さらに少し下った南部新光町のバス停前まで戻る。夕張の街を走っているバスは夕張鉄道バス(夕鉄バス)なるローカル会社のバス路線。元々は鉄道事業もやっていたが昭和49(1974)年に旅客営業を廃止して以来はバス事業のみ運営している。
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新光町バス停の真ん前には南部市民体育館。見た目に廃墟かこれは?!と思えるような外観だが一応まだ現役らしい。
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この体育館も元々は旧三菱南大夕張体育館だったが1990年の炭鉱閉山とともに施設が夕張市に譲渡されたそうだ。だが夕張市の破綻で施設の維持が出来なくなり、今では近隣住民が自主的に細々と清掃管理を続けている。
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体育館の壁には何だか岡本太郎ライクな人型を象ったイラストが描かれている。時代背景を匂わせるデザインだなあ。
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体育館に隣接して三菱南大夕張炭鉱の殉職者慰霊碑があり、近所のおばちゃん達がちょうど掃除している最中だった。良くも悪くもこの慰霊碑が街の歴史を残す証人となっている。閉山の5年前、1985年に死者62人を出すガス爆発事故が起きている。
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新光町の国道沿いにも何軒か商店が連なっている。赤いテント屋根の高橋商店は「夕張働く者の歴史を記録する会」会員の山影さん宅。朝早く訪れたせいか店のシャッターが閉まったままになっていた。もし開いていたら色々話が聞けたのだが…
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高橋商店の壁に取り付けられたパールライスの看板は一体いつのものなのだろうか。
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隣にはスーパーマーケットらしき店舗が残っている。「南部スーパー」と書かれた看板もそのままに、商売辞めましたと言わんばかりに中途半端にシャッターが閉められていた。
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1990年の炭鉱閉山前は7000人居たという南部地区の人口は20年が過ぎて10分の1以下の600人程度まで減少した。急激な過疎化を迎えつつも、それでも街に留まり続ける人々がいる。

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