日本最悪の財政状況で破綻自治体としての試練をくぐり抜けている最中の北海道夕張市。まさしく「試される大地」を地で行く街なのだが、そんな夕張にも「夕張メロン」という街の宝と呼べる自慢の果物がある。
その夕張メロンを使ったブランデーを製造していた工場「ゆうばりめろん城(夕張市農産物処理加工センター)」が今では人の姿もまばらな石炭の歴史村のさらに奥に進んだ所に残っている。何故か西洋の城をモチーフにした外観で、第三セクター「石炭の歴史村観光」の経営で昭和60(1985)年にオープンした後、夕張市破綻の2006年に閉鎖されてしまっていた。
財政破綻後は元従業員が設立した「夕張酒造株式会社」が指定管理者となって翌年に再開業にこぎつけており、現在も細々と製造工場が稼働しているとの事。
ここも既にもう潰れてしまっていたと思い込んでいた中で半信半疑でやってきたのだが、まだ現役で運営が続いていた。駐車場に車を止めたが他に客の姿もなく、相変わらず車に寄り付くアブの大群に悩まされるばかりだ。
ちなみにゆうばりめろん城がある土地は以前は丁未小学校跡地だったらしく駐車場の傍らに石碑が建っている。丁未地区やその手前の福住地区はほぼ完全に廃村化しており昔はこの周辺にまで炭鉱住宅が密集していた。夕張市内を南北に縦断する道道夕張岩見沢線はこの丁未地区を境に峠を越えて岩見沢方面に降りていく。
一方でゆうばりめろん城の中に入ると目の前にはブランデー工場の製造ラインがガラス越しに見学出来る。しかし残念ながら稼働中ではなく機械類が拝めるだけだ。どうやら現在はめろん城よりも麓の紅葉山地区にある工場での生産が中心となっているらしい。隣で売店のおばちゃんに聞いたらそう話してました。紅葉山の工場ではメロンブランデーに限らず長芋焼酎や夕張メロンゼリーなども製造しているそうだ。
昔はめろん城の中でブランデーの試飲も出来たそうだが、今となっては兵どもが夢の跡である。休憩コーナーも人が居ないし、2階から上も立入禁止になっておりました。酒呑みにとってはとんだ無駄足になってしまう事請け合いである。まあ隣の売店で色々買えるのでいいんですが。
そばのガラスケースにめろん城自慢のメロンブランデーのボトルが展示されていた。毒々しい緑色は瓶の色なのかブランデーの色なのか…でも「合成着色料含有」って書いてるから、ブランデーの色なんだろうなきっと。
工場見学コーナーの傍らには解体された遊園地「アドベンチャーファミリー」の往時の姿が…恐らく遊園地がオープンしたばかりの頃だったのだろう、今では考えられない程の大入り満員状態。この栄光は一時の幻でしかなかったのだろうか。お役所感覚の三セク運営だとろくな事にならんのが常ですがね。大阪のフェスティバルゲートといい、倉敷のチボリ公園といい。最初は満員でも2・3年もすれば陳腐化して飽きられる。
財政破綻で悲惨極まりない夕張市から逃げ惑う住民や企業もあれば、逆に夕張市に同情するように道内外からいくつかの企業の工場が夕張に進出している。キャラメルホニャララとか言われてる田中義剛さんの「花畑牧場」も2009年に夕張に工場を進出させ、財政難に喘ぐ夕張市民の救世主となるべく名乗りだしたのだ。
この花畑牧場の施設も十勝の中札内村にある本社工場と同じく工場見学施設、販売施設、フードコートなどが一体化していて観光客を意識した造りになっている。夕張メロンの果汁を使った生キャラメルが主力製品だが、その後キャラメル工場は本社に集約、現在はホエー豚加工工場に変わったらしい。(→詳細)
ただでさえ職のない夕張で約300人程の雇用を生み出しているようだが大半は高齢の派遣労働者らしい。
花畑牧場の工場敷地がやけに広々していてこれ全部駐車場って無理がないかと思ったのだが、以前は旧北炭夕張炭鉱の選別所があった土地の名残りらしく、昔はここから石炭の選別から貨車への積み込みといった作業が行われていたそうだ。
北炭夕張炭鉱の大煙突は綺麗に塗り直されて「夕張希望の丘」という歯の浮いたような名前が刻み込まれている。夕張市破綻後に指定管理者として事業を引き継いだ「郷愁の丘ミュージアム」を改築して作られたカフェやらシネマギャラリー、アートギャラリーやらが併設されているとの事だが、時間もあまりないので見て回る事もなかった。
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