路地にそびえる三階楼…倉敷市玉島の遊郭跡・旧天満町を歩く

寂れた街並みが広がる倉敷市玉島の中心市街地から河口に向けて川伝いに南へ1キロの旧天満町辺りには遊郭があった。玉島港は北前船の寄港地の一つで、大勢の船乗りが訪れた場所。北前船ある所に遊郭ありというのは分かりやすい理屈なのだが、ここも例に漏れず色街があったのだ。

玉島市街地の救いようもない程寂れたアーケード商店街を後にして、旧天満町へ向けて延々と歩く。特徴ある海鼠壁の蔵やら延々と街道沿いの古い町並みが見られてそれだけでも旅情気分に浸れる事請け合いだが、目指す遊郭跡はまだこの先にある。結構遠いですよ。

天満町という地名は現在の公的な住所としては使われておらず「倉敷市玉島柏島」というのが今の住所なのだが現地に来ると「天満町公会堂」といった地名が入ったレトロ感極まる建物が見られる。地元の公民館レベルの建物だろうがそれでもこの風格。

そんな天満町公会堂を過ぎると程なく旧遊郭地の区画が現れる。道もなんだかわざとらしく無駄にクネクネ曲がりだして前方の視界を妨げようとする。道の両側には妓楼らしき家々が立ち並び、明らかに異質な空気へと変わる。こりゃ確かに廓ですね。廓だけにアンテナがビンビンくるわ…とか言ってる場合じゃないですね。

早速建物を拝見していきましょう。なかなか立派な木造家屋、二階部分の窓や手摺がどう見ても妓楼です。空き家につき売物件の看板が掛かっております。誰か買い手はつかないもんですかねえ。

その建物の一階部分の窓は頑丈そうな鉄のフェンスで覆われていた。かつての妓楼の所有者の明らかな意志を感じるその造り。遊郭ってそういう世界ですもんね。

ここも遊郭と関係の深そうな建物。玄関上には7文字分の何かが書かれたプレートが残っているのだが文字が読めなくなっている。妓楼の一つだったのか、もしくは組合か見番の類だろうか…

半数は住宅に建て替わってはいるが、半数は未だに妓楼のままといったところ。旧天満町の遊郭跡はせいぜい100メートルくらいで終わってしまうのでそれほど大きなものでもなかったようだ。まあこの場所じゃなくとも瀬戸内海には腐るほど遊里があった訳だが。

旧天満町遊郭の中でもとりわけ存在感がでかいのが天満宮前の三階建て妓楼。現在もこれは普通の民家に使われていて随分生活感を感じる。遊郭時代は「中村」の屋号で商売しておられたようです。

建築資材のようなガラクタに囲まれた雑然とした玄関部分。よく見ると玄関脇に掛けられた大看板に「天理教眞玉分教会」の文字が。ここは岡山県旧浅口郡なのでてっきり金光教の縄張りだと思っていたのだが、遊郭跡で陽気ぐらしとはこれまた乙なもんですな。

そしてこの三階建て妓楼の背後に旧天満町の鎮守たる天満宮への入口へ続く階段があるのだ…このアングルたまりまへんわ…しかし随分目立たない場所にありますねこの神社。

建物側面のトタンが張り付けられた壁にはさも大事そうに家の鬼瓦が祀られている。遊郭に関係しているのか知らんがこの家に大事な意味合いを持つものかも。

旧天満町の地名の由来という天満宮。それはどうも大阪にある天満宮に関わりがあるらしく江戸時代から大阪との交易が盛んであった事を示している。つまり北前船でやってくる男どもも大阪人が多かったという事か。なるほど。

この旧天満町では天神祭もやっていたらしいというのだが今ではちょっと荒れ果て気味。ガラクタが境内にまで乱雑に積まれているというアレな状況。

天満宮境内から三階建て妓楼に通じる秘密めいた勝手口。散らばるガラクタといいこの建物の中は一体どうなっているのだ。私有地なので中が見れないのが歯がゆい。

そして肝心の天満宮の境内はというと…あれ?なんだこの空き地っぷりは…神社の拝殿はもちろん手水舎や狛犬すらない。殆どもぬけの殻となっている。

まさか正面にあるこの小さな祠がそうだというのか?この地区の信仰は今どうなってしまったのだろう。きっと遊女達も信仰していたであろう天満宮は本当にこんな佇まいだったのだろうか。狐につままれた気分。

それ以上にミステリアスなのがこの神社の境内に何の意図か知らんが使われなくなった「バス停の標識」が何本もぶっ刺さっている事だ。これは一体何なのよ。マジで意味分からんぞ。

いまやバス停の墓場になってしまった旧天満町の鎮守の森…それは遊郭跡という土地の因縁が引き起こした珍風景なのだろうか。

なお玉島柏島の旧天満町界隈には1989年に倍賞千恵子主演の映画「千羽鶴」のロケ地として使われた旅館があったらしい。どの旅館かは分からなかったままだが…


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