札幌市・北の巨大歓楽街「すすきの」も昔は薄野遊郭だった件

北海道

北海道札幌市…日本国内でも北緯40度以上に位置する唯一の政令指定都市であり、北海道の中心都市。その繁華街として名を轟かせる「すすきの」は、旅行者が持つ漠然とした北海道への憧れをいともたやすく打ち砕く、汚辱に塗れた北の不夜城。

北海道 札幌市

すすきのの特定ブロックに密集する特殊なお風呂屋さん街にはこうした廃墟もあったりして、容赦なくきったねえんですが、明治初期に屯田兵が開拓していた時代にまで遡ると、当地には「薄野遊郭」があり、やはりすすきのの歴史自体もピンクな因縁に終始彩られている事がわかるのである。

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この辺なんか本当笑っちゃうんですが、道民のそのへんの感覚ってどうなってるんだよ。…と、今回はこういうものを見に来たのではない。すすきののお下品な歓楽街をとっとと素通りして先を急ぐ。

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札幌すすきのの南の外れ「南7西4」交差点の前に立つと。北西角に玉宝禅寺祖院(豊川稲荷別院)が鎮座しているのが見える。ここに歓楽街すすきののルーツとも言える歴史の痕跡がある。

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玉宝禅寺祖院は明治31(1898)年に開かれた寺で、愛知県豊川市にある豊川稲荷神社の札幌別院でもある。寺なのに鳥居があったり作りが神社っぽかったり、神仏習合ぶりが伺える。

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「山川豊」…なんで演歌歌手?とボケようとするが、右から呼んで「豊川山」だなこれは。毎年8月に行われる「すすきの祭り」のイベントでおいらん道中が行われるのだが、その出発地点がこのお寺の境内になっているという。

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それから境内外側に張り巡らされた古い玉垣にも注目して欲しい。薄野遊郭時代の妓楼の屋号や、関係寄進者の名前が記されている。ここまでガチ過ぎるとはなんともわかりやすい街なんだ…

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そして境内左手を見ると、さすが北海道らしいというか、雪除けと思しき屋根にがっちり守られる形でとある石碑が大事そうに祀られている。その周りには千羽鶴や花束、ぬいぐるみ等の供え物がびっしり。

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この時点でもうこの石碑の意味が分かっただろう。「薄野娼妓並水子哀悼碑」…薄野遊郭で不幸に命を落とした娼妓や水子の霊を供養する石碑である。

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石碑の傍らにはしっかりと説明書きも置かれている。

「薄野は明治四(1871)年、当時の判官により開拓労務者の”足止め策”として薄野遊廓を置いたのが起源であります。その開拓を支えた遊廓の娼妓達を供養し、さらにはその陰にある水子と、現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で北海道知事(当時)堂垣内尚弘氏から碑文を頂き建立したのが、この哀悼碑であります。」という文面と昭和51(1976)年の日付が記されていた。

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「酒は飲まされたのではなく 自分が飲んだのです」はい。「酒」じゃなくてお金とか女とかで色々応用が効きそうな説教文だなこれ。生活保護受給率の高い札幌名物のだらしないナマポ貧民にも説教してやってください。

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豊川稲荷別院(玉宝禅寺)では水子供養も行っているそうで、「現代の水子」という説明書きの文と、現代のすすきののアレな街並みを見ると、色街の歴史は形を変えつつも世代を超えてしっかり生きているんだなあとしみじみ。

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薄野遊郭の全盛期は明治末期で、大正7(1918)年、北海道博覧会の開催を契機に当時郊外だった白石区菊水のリンゴ農園だった土地に移され、白石遊郭として戦後の売防法施行時まで続けられていた。リンゴの病害虫に苦しめられ果樹園の経営が厳しかった中で、当時の地主達が喜んで遊郭用地を提供したのだ。現在は菊水公園内に遊郭移転当時から存在していた菊水神社が未だに残っているくらいで、遊郭の面影はもう無かった。


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