新潟に旅行し始めた時に「油臭い温泉」が名物だという事を知って、これまで胎内市の西方の湯だとか新発田市にある月岡温泉だとかに立ち寄った事があったのだが、どうも「油臭」ジャンルでは最強の激臭を誇る温泉があると皆が口を揃えて言う所がある。「油臭温泉の聖地」とまで言われる新潟市の「新津温泉」だ。
この新津温泉がある場所、元々は新津市だったのだが、2005年「平成の大合併」によって一気に市域拡大し本州日本海側初の政令指定都市となった新潟市の一部に組み込まれてしまっている。新潟市中心部から南へ15キロ。新潟市秋葉区の一部となった新津市街地の中にあると聞いてきたのだが、ちょっと場所が分かりづらい。のっけから薪の山が積まれていて原始的だ…
JR新津駅から南東方向、ベルシティ新津という商業施設を目印に県道7号線沿いを走ると「新津温泉」と書かれた錆びた小さな看板が見えるので、ここを左折。分かりづらくて思わず一度素通りしてしまった。
路地に入って少し進むと砂利敷きの駐車場と新津温泉の建物が姿を現す。確かに地元ナンバーを中心に客の車が沢山止まっていてここが温泉施設なのは確かなようだ。早速着替えとタオル、洗面用具の支度をして車を降りる。
これが「新津温泉」の建物。なんというか、飾りっけなしの混じりっけなし。そのまんま民家以外の何者にも見えない外観である。左の休憩棟と右の温泉棟に分かれているが、まず休憩棟の玄関を入るとすぐ左手に料金徴収係の婆さんがいるので入浴料300円支払って右手の廊下をまっすぐ行きます。
玄関から温泉棟に続く廊下の古めかしさがまたたまりません。人の家に上がらせてもらったかのようなアットホーム感がある。言うまでもなく客の殆どはご老人だ。廊下の片側に大広間があり、風呂上がりの客が勝手に休憩できるようになっている。
さらに廊下を右に折れた先が温泉棟。こちらも玄関があって慣れた常連客はここから出入りしている模様。奥の小さな扉の先が男子浴室で手前が女子浴室である。先客が沢山いたので写真はないが、オーソドックスな脱衣場とやや濁ったエメラルドグリーン色の温泉が掛け流し状態の小判型浴槽が1つあるだけ。水面には油膜まで張ってるし、気になる油臭は半端なものではない。暫し地元の爺さん達と同じ湯に浸かる。洗い場は簡素なものしかなくさすがに古びていてそういう意味では綺麗ではないので、好き嫌いは分かれそう。当方はそんなのお構いなしにクンカクンカ油臭を満喫しとりますが…
風呂上がりは当然ながら大広間で休憩をする。このオールドスタイルっぷりを見よ。ここはまだ昭和30年代か何かだろうか。カラオケでもやりそうな舞台と畳敷きの広間は、我々以外に休憩している人が居ない。たまたまか…地元の爺さんはとても長風呂なので、みんな浴室にいる。
舞台の背景に描かれた富士山や日の出、松葉などの絵。ハンドメイドっぷりがたまらない。そして大量に積まれているこたつや座布団や毛布の数々は客用のものだろうか。あまり積極的に使いたい感じはしないのでそのまま置いておいた。
油臭まみれの温泉にしばらく身を沈めていたので体はよく温まったのだが、ともかく油臭さが残る。さすが激臭最強などと噂されるだけの事はある。灯油ストーブを使った事のある方ならお分かり頂けるだろうが、指に触れた灯油を手洗いした後にまだ残ってるくらいの臭いはする。逆にあの臭いが好きなら、ここは天国にもなり得る。
どうでもいいけど防災ポスターのお姉さんも昭和臭きついです。そもそもこの新津という街自体、江戸時代から油田採掘が行われてきた土地。本来は油田の試掘工事を行っていた中、たまたま温泉を掘り当ててしまって、そのまま温泉施設に変わったというのが始まりらしい。こういうパターンは新潟では割とよくある。月岡温泉あたりもそう。
地元の「広報にいつ」によれば、昭和28(1953)年11月1日発行のものに「新津温泉湧き出し記念行事」という記事が掲載されているので、つまり新津温泉はこの頃にできたものと見ていいだろう。「昭和30年代の世界にタイムスリップ」というのは感覚的には当たりである。
しかし建物のあちこちを見回すと今では使われなくなった客室や家族風呂と思しきスペースがいくつもあった。洗濯物干し場になっていたりしてこれまた所帯染みた光景が見られるのだが、建物自体相当くたびれた感が出ているのが気掛かり。跡継ぎとか改装の予定とかは…ないんでしょうかね。末長く頑張ってもらいたいもんですが。