齋理屋敷がある丸森町の中心部、一応ながら商店街っぽい体裁にはなっているが、人通りはまばらである。町の人口は14000人だが、町域が結構広くてあちこちに集落が点在しているので、それほどまとまりは無さそうである。
観光客は殆ど「齋理屋敷」とその向かいの農産物直売所に来るだけなので、そこを外れると観光客の姿は無くなる。寂れた商店街をしばしうろつく事にしたが、こうした個人商店すら店じまいしている。商店の玄関口には「丸森町合併60周年記念」と書かれた横断幕が。昭和29(1954)年に周辺8町村の合併で出来た自治体が今の丸森町だ。
渋い佇まいの焼肉屋兼居酒屋もあったりするけど、地元民向けの飲食店ってせいぜいここくらいしか無さそうな感じですよ。
他にも商店街沿いには昭和10(1935)年築の旧丸森郵便局があって、戦前のモダン建築っぽいものはこの郵便局くらいのようだが、国の有形文化財に登録されているらしく、例のプレートが玄関脇に掲示されていた。現在は「総合福祉サービス」の事務所である。
やはり町並み自体でテンションが上がる程のものは見当たらず、凄まじくレトロなタウンガイド看板を眺めてもこれ以上ネタを発掘するのは難しくなってきた。そうなったら、あとは丸森町名物のアレを探すしかないか…
そう、この街に本拠地を置く「聖書配布協力会」がベタベタと張り付けていく「キリスト看板」の数々…寂れた田舎町に絶対あるというセオリー通り、丸森町の商店街にも例外なくめちゃくちゃ目に付く。
「死後の行先を考えて下さい 聖書」の看板は黄色い縁がついていたり、「聖書」の二文字が下側に分かれて横書きされているレアなバージョン。やっぱりキリスト看板の聖地はバリエーションも豊富だな!
寂れた町の古びたトタン壁や板壁、廃屋の外壁に容赦なく張り付けていくスタイルはここ本場丸森町でも変わる事はない。元々飲食店だったらしいが無残な廃墟と化したこちらの店にも…
「神と和解せよ 聖書」
キリスト看板の「神」と和解できるかどうかは知らぬは「天の国は近い」らしいので、そろそろ本題の「聖書配布協力会」の施設でも見に行く事にしよう。
丸森町の中心市街地からさらに1キロ程南に行った「雁歌」地区にやってくると、あ、あった…想像していた以上に大規模で、表の駐車場には信者の自家用車や街宣車、さらにはキャンピングカーが数台並べられている。20~30台くらいはあるだろうか。
駐車場の出入口付近にもでかでかと例の黒地に黄色と白の文字のキリスト看板が掲げられていて、素人目に見てもここがキリスト看板の総元締めである事に気付くだろう。あれらの恐怖心を植え付けるような原理主義的な文言を書き連ねる不気味な看板が全てここで作られているというのか…
聖書配布協力会は戦後1950年代にポール・ヘラルド・ブローマン氏を中心にして成立した団体で、ブローマン氏が18歳の頃に衛生兵としてやってきた時、戦後間近の敗戦国日本の惨状を嘆き「日本人を救う為に神の言葉を伝えたい」として伝道師になる事を決意、兵役を終えた22歳の時に再来日し、東北や北海道を中心に伝道の旅を続けていたという。その後、日本人女性と結婚、帰化して「岩佐勝」を名乗る。
ブローマン氏の事業はキリスト看板の製作・貼り付けや伝道活動だけに留まらず、学校法人(宮城明泉学園)の運営、ソフトウェア開発会社(グレープシティ)の運営など多角的に及んでいて、特に組織外からはこれらを指して「丸森グループ」とも呼ばれている。丸森町の「聖書配布協力会」の敷地内には宮城明泉学園が運営する私立校「啓明宮城小学校」もあり、信者が共同生活を送る寄宿舎も建ち並んでいる。
いざ現地にやってくると、そこらじゅうに信者の家族が生活していて、そこはまるでどこぞの部族の集落か、もしくは小さな宗教都市のような様相である。実際に来るまでは「リトル・ペブル同宿会」的な家族経営みたいなイメージを勝手に持っていたが、それどころの規模ではない。ちなみにブローマン氏は2012年に84歳で死去しており、現在は養子を含めて22人居るというブローマン氏の子供やその孫が中心メンバーになっている。
表向きは宗教ではなくボランティア団体を標榜している「聖書配布協力会」だが、色々なキーワードでググるとダークサイドな情報も含めてあれこれ団体の内情が出てくるので、ここで詳しく言及する事は避けるが、とても軽々しくよそ者が無邪気に取材をお願いして中にお邪魔するような雰囲気の場所ではないので、中に入るのは遠慮しておいた。ただこの団体が本拠地を置く丸森町がどんな町なのか気になって来ただけの事ですからね…
かつては阿武隈川の舟運で財をなした豪商の屋敷があった町が、今ではキリスト看板の伝道拠点になっているという歴史の因果。単に土地代が安かったから丸森町に来たという理由らしいですがね…ということで、とっとと東京に帰ります。
※この記事について後日、聖書配布協力会に取材をした本人がツイッターで色々イチャモンを垂れていました。よほど自分の功績を誇りたいが為にこちらの記事やサイトの取材方針をこき下ろしておられましたが、ネットは手前の自己顕示欲のための玩具じゃないんだよ。