県庁所在地の駅なのに何もない熊本駅前から市電に乗って中心市街地方面に行くと途中で「河原町駅」というのがあるので降りてみる。ここは昔から繊維問屋街となっている一画なのだが、戦後のドサクサで出来た闇市発祥の市場があるというので見に行く事にした。
熊本市中心部を流れる白川にも程近い場所に古めかしい佇まいを残したコンクリート建築がずらーっと並んでいる。昭和33(1958)年に建てられた卸市場の「河原町繊維街」である。見た目も古いが確かに築年数も古い。
繊維街とは銘打っているがそれは過去の話、現在は繊維問屋街として殆ど機能していない。その代わりにアート系の若い店主が集まる商店街として息を吹き返している、といった場所。複数ある市場の入口上部を見ると採光の工夫か穴あきブロックが積み上げられていて独特な風情だ。
そして中に入ると…これまたなかなか煤けた佇まいで息を呑む。屋根の上はトタン葺きのアーケードになっていて雨水の侵入を防いでいる。設計はよく出来ているよな。
元が繊維問屋街だった事もあって古い店の看板がそのまま残されていたりする。リアル昭和30年代の風景。しかし殆ど廃業してシャッターを閉めたままになっていて、一部にアート系の若い店主が各々リノベーションを加えて新規開業させた店舗が混在している。
廃墟化した問屋街の中にオサレスポット乱立。熊本ではこの河原町問屋街の存在はかなりヒートアップしていて毎年アート系イベントが行われたりするなど動きは活発なのだ。ともかく家賃が安いので若い世代が出店しやすいとの事。
元々は本当に戦後の闇市だった場所だが大火事で丸焼けになってしまい、その後に耐火性のあるコンクリート建築に生まれ変わった。昭和40~50年代くらいまでが問屋街のピークで、時代の流れでどんどん寂れて今に至ったようだ。
問屋街の建物に数箇所ある共同便所。表側は昔のままだが内部は改装されて小奇麗になっていた。
入口から見ると単に並行しているだけかと思ったが奥に行くと微妙に変化を見せる問屋街の路地。古い問屋の看板となぜかガチャポンが並んでいる新旧混在ぶり。
上を見ると繊維街の看板、下を見ると新規出店してきた若い店舗や若い客。こちらも新旧混在な風景が見られる一例。
市場の突き当たりに唐突に現れる横階段。二階部分はやはりアート系の何らかの店が入居している模様。
まだまだひと目のつきにくい一角は容赦なく廃墟状態が続いている訳であるが、アートな人々のおかげで息を吹き返す事が出来そうなのだから幸いといった所であろう。全国的にもこういう物件、ちょいちょいありますよね。東京大久保の軍艦マンションとか。
今後どのように変わっていくのか知らんが、あちこち弄られてしまっているので、滅びの美学が好きな廃墟マニアにはちと物足りない感じがしなくもない物件かもな。
アートな人々が集まる河原町繊維街マップ。結構中は広いのね。廃墟の殺伐感が抜けてすっかりほっこり空間に生まれ変わっている。お暇なら立ち寄ってみては。