沖縄市照屋にあった赤線地帯「黒人街」の名残りを求めて (1)

沖縄市照屋の寂れた商店街「銀天街」の周りの街並み、かつて米兵の溜まり場だった「黒人街」の成れの果てである。
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現在は古ぼけた住宅街と化していて、昔黒人兵を相手に商売をしていた個人商店も店を辞めて普通の一軒家に変わっていたりする。クラブやバーが立ち並んでいた頃の名残りか、この付近にもやはりスナックが多い。


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コンクリートで塗り固められた古いスナックの建物。相当外観がボロい事から見てもおそらく戦後間近に建てられたのだろう。スナックの看板さえなければここが日本の風景だとは思えない。東南アジアの地方の村にありそうな建物だ。
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スナックの壁には共産党のポスター。「世界一危険な普天間基地」などと煽ってます。さすがです。
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共産党ポスターに並んで英語教室の看板があるのが沖縄らしい。それにしても相当古い広告である。
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結局住宅街を一巡りしたら最初にやってきた銀天街のアーケードの端っこまで戻ってきた。やけにでかい建物が左側にあるが、これは昔の映画館の建物。現在はそこに魚屋が入居している。
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銀天街のアーケードの途切れた辺りもびっしり店舗が連なっている。車社会が浸透するまでは庶民の足は路線バスしかなく、コザを走る路線バスの全てがコザ十字路を走る事から交通の要衝として沢山の買い物客が訪れていたという、その名残りだ。
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そのまま突っ切ると国道329号(コザ高通り)。卓球場や美容室、靴屋などが並んでいるがどれも営業している雰囲気ではない。
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それはそうとこの看板も飲食街の名残りですか?よくわかんないけど暇な老人が置いたと思しきお節介な看板があちこちに置かれているのが見える。
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さらに銀天街のアーケードが途切れた先の道を直進するとかつての「黒人街」で最も盛り場の風情を残す街並みがある。今では事務所に使われているこれらの建物も元々はクラブやバーといった夜の店だった。一部にうっすらと英字で書かれた跡が残っている所もある。
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「税理士事務所」と書かれた店舗の一部はスナックの入口になっていた。
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そのまま道なりに行くと半分くらいは住宅街化しつつも、所々店舗の建物が残っていた。緩い上り坂が始まるあたりに道が右側に折れていて、その辺も黒人兵向けの売春宿が立ち並んでいたという。

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