沖縄本島北部、那覇から車で1時間弱の位置にある国頭郡金武町は、米軍基地キャンプハンセンのお膝元にあり、1970年頃のベトナム戦争があった時代には多くの米兵で栄えた繁華街「金武町新開地」が残り、沖縄料理の一つとして定着した「タコライス」発祥の地でもある、そんな街なんですが、ちょっと変わった施設があると聞きましてですね…
金武町新開地の奥まった路地の一画に現れる、なんだかバブリーな佇まいの建物…ここが今回の目的地である。どうやらここ、タコライス生みの親である儀保松三氏の元邸宅兼私設博物館らしいんですが、前回の沖縄取材で時間の都合で立ち寄れず、今回(2013年)リベンジとして訪問が叶った。その名も「ゴールドホール」。名前までなんだかバブリーですね。
こちら「ゴールドホール」、その名前は金武町の「キン」からゴールドと付けられたオチが早速見えてくるのだが、店の入口の看板に「ぼんさいカフェ」のサブタイトルが付いているあたり、どうやら喫茶店としても営業しているらしい。それはまあ分かるのだが…どうにも入りづらい雰囲気がある。別段流行ってるようにも見えないしだな。
この建物の中には喫茶店と盆栽庭園と鍾乳洞がセットで入っていて、その外観からは想像がしずらいのだが、喫茶店単体での利用は出来ない。あくまでキングタコス創業者である儀保松三氏の私設博物館という立ち位置なので、どなた様も入場に際して1人800円お支払い下さい、という形になっている。オノレの好奇心が800円に勝るかどうかは判断の分かれ目だが、ここは入らない訳にはいかないでしょうよ。
入口の階段を上がって2階の喫茶店で受付を済ませて入場料を支払い、喫茶店の中から別の下り階段を降りて展示スペースに入る事になる。この先、外観からはとても想像できない壮大な私設博物館の内部があらわとなるのだ…
まずは階段を降りると地下室みたいな空間があり、ここから先は儀保氏が長年コレクションした調度品の数々が棚や床の上なんかに多数陳列されていて、何とも金持ち趣味だなあと感心する事請け合いなのだが…
天井を見上げるとこの地下室が元は何だったのかがひと目で理解できる。ただの地下室じゃない。天然の鍾乳洞なのだ!
元々この鍾乳洞は儀保松三氏がタコライスを発案してキングタコスを興す以前に商売をしていた米兵向けのバーだったらしい。1970年代まで、金武町新開地はベトナムに出兵する沢山の米兵達の姿で溢れていた。当時の激戦地だったベトナムに渡れば命の保証はない…そんな米兵達が出兵前に遊び呆けていた歓楽街があり、まさしく不夜城の様相を呈していたのだ。
ベトナム戦争による特需で金武町新開地のバーの売り上げは凄まじいものがあったという。儀保松三氏はこのバーの売り上げを元手に新規事業としてタコライスを発案し、キングタコス一号店となる「パーラー千里」を開業した。
琉球石灰岩の島である沖縄本島にはこうした鍾乳洞が「ガマ」と呼ばれ、戦時中には多くの人々が避難をして、所によっては悲惨な集団自決の舞台にもなった事もある。しかしゴールドホールにある鍾乳洞は戦後に夜の盛り場として作られたもので、時代によって全く使われ方が違っているのも印象的だ。
元飲食店らしく鍾乳洞の中にはテーブルや椅子が沢山置いてあるので、ここで飲み食いできれば良さげにも思えるんですが、どうやらそれはしていない模様。お茶がしばけるのは上の喫茶店だけです。今どきなトリップアドバイザー的なサイトにボキャブラリーに乏しい外人さん達が決まって「Good Atmosphere!!」だのと口コミを寄せそうなナイスなイキフンの空間なのに、ちょっともったいないね。
また、鍾乳洞という事もあって酒の貯蔵に適しているので調度品ばかりではなく沢山の泡盛もじっくりここで熟成されている訳である。地元金武町の酒蔵「崎山酒造廠」の「松藤」の古酒、上の喫茶店でも飲めるそうです。