凄まじいズタボロ具合のスナック街と路地裏廃墟
変わって今度は石段街と八千代坂の間の細い路地を抜けてみましょう。麓の県道33号側から見るとこちらもタイ料理居酒屋が看板だけ残しているのが見える。でもここも恐らく営業はしていないのだろう。
この坂を登っていくとここにもスナック街がある。「ホテル永楽」の看板が並んでいるので、同ホテルの所有地か何かかも知れませんな。
石段街から路地を抜けてここに来る事も可能で、歩いて「銀映」に行く場合はこの道を通ると近道になるわけだ。山側の片方に飲食街が形成されている。ここも半分くらいの店が既にやっていなさそうな雰囲気が…
伊香保らしいネーミングの「スナック石段」とか味わい深いっすね…5年前に来た時にも同じ場所で夜の様子を見たが、その時でもかなり寂れ気味だった。
片横丁の路地を抜けると八千代坂側は道幅が広がり「永楽街」の看板を掲げたゲートが現れる。坂下側にホテル永楽の建物があるが、このホテルも現役ながら随分場末感を放っていた。銀映はこの路地から八千代坂を登った側のすぐ隣。
永楽街から石段街に抜ける路地には風情のある「お食事処」の建物が。角の丸い柱と一部に残る豆タイルがそれとなく赤線地帯のそれを想起させる。こうした飲食店も伊香保には多いが、綺麗どころ好きの今どきの観光客は近寄らない。慰安旅行のオヤジ軍団御用達だったのかなあと。
さらにずんずん坂道を登りつめて行くと「森秋旅館」の横に出るのだが、この辺の三階建ての元妓楼風味な建物も渋くて素敵である。一階部分には「居酒屋みどり」。軒下の提灯がアクセントになっている。
どうだこの謎のキャパシティを誇る三階建てのボロ家は。上で何をやっていたのか今となってはちょっと分かりませんが、これは限りなく怪し過ぎる。やっぱりコップンカーでサワディーカーな方々が住まれてたんでしょうか。
しかし相変わらずズタボロ状態の廃屋と化した古いスナックが多い。店の半分がでかいベニヤ板で塞がれていて、何故か観光客の記念カキコ掲示板に使われていた。
記念カキコの内容は別に他愛も無い修学旅行生かDQNの団体旅行かといったものばかりで別に興味を惹かれる程のものではなかった。こういう所に裏情報がこっそり書いてないものか期待してたんだけども。
しかしそれ以上に気になったのが「居酒屋みどり」と「スナックめい」に挟まれたこのクソ狭い路地の入口である。人の肩がすれ違うのもやっとの道幅といった所か。これは気にならない訳ないですよね。
路地裏に導かれるままに足を進めると…うわぁ…キテますねこれは。廃墟廃墟のオンパレードですよ。これは戦後の赤線地帯ですと言われても多分納得してしまう。昔はこの路地も遊客の行き交う姿でごった返していたのかと思うと胸熱ですよね。
このようなみすぼらしい場末の路地裏はトタン張り建築がデフォですが、同じトタンでも紺色と白の色違いをストライプ柄に貼り付けて彩りを添えるというのは高等テクニックですよね。んで、ここ何屋だったんだよ。
このクソ怪しげな路地裏ゾーンはT字状に配されており一応ながら通り抜け可能である。だが狭い路地に密集するあばら屋は軒並み劣化が激しく、今年2月のドカ雪で屋根や構造物があちこち破壊されているので、いつ危険物が落下するか分からないスリルがある。危険を承知でお通り下さい。
そんな廃屋だらけの路地で見かけた張り紙。縦書きなら普通行が右から左になるはずだが逆だし、日本語も下手くそ過ぎて外国人が頑張って書いたのかな的な張り紙です。大丈夫か、高橋コーポレーション。