【もふもふウサギさん】広島県竹原市・うさぎと毒ガスと戦跡の島「大久野島」上陸記

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竹原市 大久野島

そしてまだこの先にも見所がある。これはかなり大型の建物の遺構だ。山側にめり込むような構造で建てられたコンクリート建築物。これは「長浦毒ガス貯蔵庫跡」と称されたものの残骸である。秘密の毒ガス島の名を全国に轟かせた恐ろしい歴史の物証だ。ここも柵で仕切られて立入禁止になっているので、外側から遠巻きに見る事になる。

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正面から見ると3つずつ仕切られた非常に天井の高い部屋が配されているのが分かる。内側の壁がよく見ると真っ黒に焦げているのが分かるはずだ。これは毒ガス貯蔵庫を火炎放射器で焼き尽くした跡。この島では主にイペリット又はルイサイトという2種類のびらん性ガスが最盛期で年間1500トン生産され、当時はそれぞれの部屋に直径4メートル、高さ11メートル、容量85トンの竪型毒物貯蔵庫が置かれていた。

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休暇村のそばにある比較的小さめのコンクリート製の洞穴も、やはり毒ガス貯蔵庫だった穴。コンクリートがかなり剥げていて中の鉄骨が見えている。穴の中は地元なのか観光客なのか知らんがDQNの記念カキコがいっぱい。落書きの日付が1965年とか超古いんですが…

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そしてもう一つ毒ガス工場時代の名残りを留める大型建築物が島の第一桟橋に近い場所にある。これは毒ガス工場に送電していた「発電場跡」の建物だ。3階建てビル程度の高さがあるが内部は吹き抜けとなっていて、窓に嵌めこまれたガラスは殆ど砕け散っている。

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ここも例によって建物手前で柵によって仕切られているので立入禁止という事になっている。以前は他のものも同様に普通に中に入れたようだがいつの間にか安全重視という事でこうなったらしい。

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長年の風雨に晒されグニャリと曲がった窓のフレームと殆ど割れて無くなったガラス、そこに容赦なく蔦が絡まり、いやがうえにも廃墟としての年季を感じさせる。

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この発電場跡、戦後の一時期米軍が建物を使用していた時期があったそうで、その時に印字された弾薬庫を意味する「Magazine」から取られた「MAG2」のペイントがくっきり残っているのが見える。某メールマガジン配信サービスの事ではありません。

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第一桟橋前から発電場に向かう道もこうした短いトンネルを潜らなければならない。切り通しにせずトンネルにしたのは、やはり軍事的な配慮が働いての事だろう。上から見ればただの山にしか見えないからな。

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このトンネルの壁には古びた注意書きがいくつか残っている。「美化に協力しましょう。厚生省」だって。厚生省は昭和13(1938)年から設置されているので、恐らくこれは毒ガス工場現役当時からあるものだろう。

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一方ですぐ隣には「喫煙許可」「落書スル事」とも書かれていて美化と相反している気がしなくもないが戦前の日本人の感覚はようわからんし。大久野島の毒ガス工場で働いていたのは戦時下の国家総動員法に基づく召集令状で呼ばれた人々で、未成年者も多かったという。僅か2世代程度前の日本人がどのような思いでこの場所で働いていたのか、今の世代の感覚から想像するのは難しい。

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発電場跡から少し奥へ入っていくと今度は煉瓦造りの壁が残る「火薬庫」の建物が現れる。芸予要塞時代からあるもので、周囲は森に囲まれさらに盛り土が成されていて、海上からこの倉庫の存在に気づく事が出来ない仕組みになっている。ここに先ほどと同じく「弾薬庫」を意味する「MAG1」の文字が黄色いペイントで書かれているのが見える。ここも戦後は米軍の弾薬庫で、朝鮮戦争時代に使われていたものだ。

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火薬庫跡は万一火薬が爆発した際、その被害を留めるためわざと簡素に造られた屋根の部分だけが無くなっていて、内部は草木がボーボーになっていた。すっかり建物としての役目を終えた煉瓦壁の退廃感が半端ないです。

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それから大久野島には芸予要塞時代の3つの砲台跡が島の北部、中部、南部に存在している。これらの砲台跡が整備されたのは明治時代の日露戦争前に遡り既に100年以上経過しているが、重厚に造られた赤煉瓦造りの兵舎は殆ど現役当時のまま保存されている。赤煉瓦は旧ロシアから輸入したものであると説明書きにある。

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ここは3つの砲台跡のうち「中部砲台跡」という所。いずれの砲台跡も高台上にあるので、少し山道を登って来なければ辿り着けない。そしてこんな所にもウサギさんがいるという大久野島らしい光景。

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基本的に大久野島のウサギは人に慣れた個体が多いが、こうした山の中を好き好んで暮らしている個体は少し警戒心が強く、桟橋の近くや休暇村あたりにいる警戒心ゼロのウサギさんとは違って、我々が近づくととっとと逃げ出してしまう。

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全国に残る要塞の中でも大久野島の砲台跡は保存状態がかなり良い方で、これだけしっかり残されているのを見ると当時の最高の水準で建設されたものなのかというのがよく分かる。

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そしてこの砲台跡から間近に拝める巨大過ぎる中国電力の送電鉄塔…本州から離島部である愛媛県大三島へ電力を供給する送電網を成しているものだが、ここ大久野島に建っている鉄塔の高さが226メートルで日本一の大鉄塔らしい。迫力あり過ぎますなあ。四国各県は基本四国電力だが、小豆島や大三島などのように本州に近い離島部は一部中国電力の管轄になっているのだ。

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さらに北部砲台跡へ向かう。ここも高台にあって周囲を覆い隠すような形で盛り土されている。ウサギと遊んだり毒ガス資料館を見る程度の観光客はなかなかここまで来る気力がないのか、我々と野生ウサギ以外は無人状態だった。

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北部砲台跡に残る毒ガスタンクの台座。芸予要塞時代には24センチカノン砲が4門置かれていた砲台跡でもある。もう一ヶ所砲台跡があり、合計8門、南部と中部に4門ずつで合計16門と、鉄壁の守りだった模様。軍事上重要都市である広島と呉を守る最前線だったのだ。

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かつてのそんな緊張感いっぱいの芸予要塞や毒ガス工場時代を潜り抜け、今ではこの大久野島もウサギがのほほーんと暮らしているだけの平和な島になりましたとさ。

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砲台跡の高台から眺める瀬戸内海は沢山の島々と複雑な海岸線を描いていて、軍事施設を造るには確かにこれ以上ない好条件の場所だったろうな。そろそろ帰りのフェリーの時間も近づいてきたので、山を降りて桟橋へ向かったが、フェリーが着く桟橋がイレギュラーに変わったせいで土壇場の所で大慌てする羽目になった。

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「毒ガスの島」と聞いて不気味なイメージが先立ってしまいそうな大久野島だが、瀬戸内の海はそこそこ綺麗だし心が和む。またウサギさん達に癒されに来ようかな。帰りのフェリーは丁度休暇村に泊まっていた大阪から来た小学校の生徒と先生が一緒で、関西ムード全開で帰る事になりました。



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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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