当取材班は今年と去年に渡って数回、広島県や岡山県など瀬戸内沿岸及び離島部の遊郭跡を訪ねて回ってきたのだが、行った場所がかなり多過ぎて、まだしっかりと吐き出せきれていない。それぞれ歴史や特徴があって、どこから手を付けようか悩ましい訳ですが…
で、遊郭跡を求めてやってきたのは広島県三原市の糸崎という街。ここに糸崎松浜遊郭というのがあったそうだが、あんまり馴染みのない土地だったし規模的にもそれほどでもない遊郭跡だが、通り道にあったし立ち寄る事にした。JR山陽本線で来ても糸崎終点の電車が多いので、鉄道旅なら馴染みのある地名なんだろう。
糸崎は尾道と三原の間にあって、やや三原寄りにある古い港町ですな。尾道糸崎港の一角を成しており昔から貿易港として栄えていたそうでそういった関係で遊郭があった。戦後の売防法施行で遊郭は廃止されて無くなりました、とよくあるパターンです。
そんな糸崎の中でも「松浜港」と呼ばれている所にやってきた。ここはJR糸崎駅から尾道方面へ徒歩10分くらい歩いた所にあり、港に面してかつての妓楼だったと思しき古い家屋が一列にずらりと軒を連ねている。なかなか壮観だ。住所は三原市糸崎7丁目。
港に面しているのに、港的な風情が皆無なのは、この街が過去に何を糧にしていたのかという事を暗に示している。今でも民家に転用された妓楼やカフェー建築風の洒落た家々がこうして見られるのだ。
港に面した通りから一歩中へ。車も通れないような細い路地にも家が密集する。すぐ背後に国道2号と山陽本線の線路、それから山が迫っていて元から非常に窮屈な立地だ。
さらに路地を縫うように歩いていくと裏通りへ。ここも同様に狭い路地に家屋が密集している。古びた作りの家々はやはり遊郭時代からのものだろうか。なかなか濃密なパラレルワールド状態である。
そんな狭苦しい路地を抜けつつ、つげ義春的な情緒に浸っていると突然路地の一角に豪快に崩れ落ちた家が現れるというサプライズな展開が。2階建ての立派なお宅が地震でもないのに屋根から基礎部分もろとも崩落していたのだ。「危険立入禁止」とやりたいのか申し訳程度にポールが立て掛けられているが、気休めにもならない。
瓦礫と化したかつての家の残骸、よく見るとゴルフバッグのようなものに、ここぞとばかりに猫がちょこんと座って昼寝に興じている。人が居なくなった空間は彼らにとっては天国そのものか。
家の大部分が崩落してしまってはいるが、建物奥の一角はまだ辛うじて構造を保っている。特徴ある窓や手すりなどの状態から察して、ここもかつての糸崎遊郭における妓楼だった事は間違いない。何年前から空き家になってたんでしょうね。
それより何より、家の表札が「元カフェーです」と自己主張している確固たる証拠だ。「三原縣税事務所管内 遊興飲食税特別徴収義務者證票 廣島縣」とくっきり旧字体で書かれた表札が残っているではないか。遊興飲食税という名称に注目。昭和36年には「料理飲食等消費税」と名称が変わっているので、それ以前の時代のものである。戦中戦後あたりかしらね。
さらに約1年後、同じ廃屋の様子を確かめにやってきた。やはり状況は以前のままで、解体工事の手は入るような事もなく建物は崩壊するに任されていたのだ。主を失ったとはいえ、家の後始末をするために親族などを辿る事もできなかったのだろうか。
2階部分の手すりが1年前と比べて崩壊が進んでいるのが比較できよう。こうして自然に朽ち果てるのを眺めるしかないようだ。かつての色街の栄華とともに幻と消えていく運命…切ないっすね。
これが2012年3月訪問時のもの。まだ手すりとかしっかり残っているのがお分かり頂けるだろう。2013年2月に再訪しているので、実質1年未満の時間経過でこれだけ建物の崩壊が進んでいる事になる。今後も台風などが来る度に容赦なくやられていくのでしょうな。
一方で国道2号に面した通りはしょぼくれたモルタル塗りの外壁を持つ民家やタバコ屋などがちらほら立ち並ぶ。土地勘がなければ目の前の国道2号や三原バイパスのトンネルを素通りして「何もなかった」扱いになるような空白地帯だ。遊郭跡という事に重ねて、街自体何だか見捨てられたような空間である。
あまつさえ空き家だらけで、夜逃げしたのかこんな張り紙が貼られた家まであるという香ばしい街並み…我々も、あのキョーレツな廃屋妓楼の存在が無ければ素通りで終わっていたかも知れませんがね。以上、糸崎松浜遊郭跡でした。