オレンジレンジとチャンプルー文化を生んだ街・沖縄コザ「ゲート通り」を歩く

沖縄市

沖縄市の中心市街地、国道330号線胡屋十字路から米軍嘉手納基地第2ゲートに続く大通り「ゲート通り(空港通り)」に沿って、米兵向けの商店が連なるアメリカン全開なストリートがある。

胡屋十字路の角には「コザ ゲート通り」を示す沖縄県が設置した看板がある。米兵が読み間違えただけの「コザ」の名称は沖縄市という自治体の名前以上に地元民に馴染んでいる。

そんな胡屋十字路の角には「コザミュージックタウン」なる真新しい施設がデデーンと建っている。橋本龍太郎政権時の通称島田懇談会によって総事業費80億円(国費)が投入されて建てられた半官半民の複合商業施設だ。

オレンジレンジを生んだコザだから、音楽の街として売りだそう、という事らしい。まあなんとも安直な…と思う訳だがそれなりに若者向けの溜まり場にはなっている模様。だが沖縄市には第三セクターの複合商業施設「コリンザ」の破綻という苦い前例もあるのだ。

2007年のオープン以来、早速空き店舗が出始めてそこにゲーセンやらカラオケが進出してDQN仕様に変わりつつあるらしい。沖縄なのになぜか北海道物産店があったり早速コンセプトがワケワカメな事になっていた。

コザミュージックタウンだけがいわば街中に浮いた形で建っているのだが、その脇から路地に入っていくとコザ随一の夜の街「中の町社交街」が広がっている。

かつては米兵向けのAサインバーが立ち並ぶ一角だったが、同時に米兵を相手にしたパンパンガールが夜な夜な徘徊する怪しい街でもあった。

日本復帰前のコザではささいなトラブルから米兵と沖縄人との間で幾度と無く暴動が繰り広げられた。1970年12月の「コザ暴動」では米軍車両が大量に放火されるなど大きな騒動に発展している。それもこの中の町社交街のすぐ近くで起きた米兵による交通事故がきっかけだった。

ゲート通りに近い側にはまるっきりアメリカ仕様なクラブやバーがひしめいている。それもかなり年季の入った建物ばかりだ。

音楽が文化が云々とアホな役人が出しゃばっていくら豪華なハコモノを乱造しても、マジモンの文化はこういう店や街並みから作られていくのだ。コザは戦後長らく米軍と共に生きてきた。日本で最もアメリカ臭い街かも知れない。

電柱に貼り付けられたレゲエ系イベントの告知ポスター。コザミュージックタウン内のステージで度々こうした音楽系イベントが開催されているようだ。日本語が全く無いんですが。

コザのカオスな電柱広告の数々。これも場所柄か…と言いたくなるような輸入販売業者のものも多い。

コザミュージックタウンの先からゲート通りに沿って歩いて行く事にする。嘉手納基地第2ゲートまでの約500メートルの間にアメリカ人向けな飲食店や様々なショップが乱立している。

その多くが米兵の憂さ晴らしのために置かれた沢山のクラブである。極東最大規模のアメリカ空軍飛行場、そこで働くあまたの米兵達。昼間こそは静かなものだが土曜の夜ともなると沢山のアメリカ人が街を闊歩する。

夜の盛り場を楽しむのは米兵も沖縄人も関係ない。屋台料理は日本円でもドル払いでも両方OK。コザは今も日本とアメリカのチャンプルー文化が旺盛に生きる街だ。

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