鬼怒川温泉にあった幻の色街…赤線跡「花の町」とは何なのか

栃木県

平成の大合併により栃木県日光市の一部となった旧塩谷郡藤原町に位置する「鬼怒川温泉」…そこは関東屈指の大温泉地で、東京都心から東武鉄道一本で行ける一大観光地でもある。この鬼怒川温泉は昭和の時代に隆盛を極め大小様々な旅館が林立していたが、近年は廃墟化する旅館が相次ぎ、資金力のある大型ホテルばかりが繁盛し客を取り込み、昔ながらの浴衣姿の観光客が闊歩する風情のある温泉地の情景は見られなくなった。

栃木県 日光市

しかし、寂れつつもあるながらも見所が多いのが鬼怒川温泉でして、この温泉地にはかつて「赤線地帯」が2ヶ所存在していたという話を聞いた。そのうち一ヶ所は鬼怒川プラザホテルの近くにある「京街」、そしてもう一ヶ所は鬼怒川温泉ロープウェイの近くにある「花の町」だ。

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湯の街公園から国道121号バイパスに出て少し北方向に歩き、ロープウェイ乗り場の手前の所で山側の路地に入っていく。目の前の高台の上が「花の町」と言われる土地で、別にロープウェイ乗り場の所からでも行けるけど、こっち側のアプローチから入った方が、なんか雰囲気的に良い。

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坂の途中から「花の町」に続く階段を登っていく。コンクリートの階段は、割と最近に修繕されているらしくコンクリートの色が真新しい。現在も住民が暮らしているのだ。

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階段を登り切ると、目の前には「ここは遊郭ですが何か?」と言わんばかりの、植え込みと街灯を中央分離帯に置いた広い歩道を中心に両側に家々が立ち並ぶといういかにもな街並みが姿を現す。これが「花の町」である。

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もちろん現役の色街ではなく普通の住宅地なのだが、この街の造りがまるっきり「それっぽい」のでびっくらこきましたよ。南北に100メートル程しかないが、かつてはこの両側に特殊飲食店がひしめいていた事になる。

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この特飲街の存在は渡辺寛氏が昭和30年代の色街をまとめた有名な書籍「全国女性街ガイド」に「赤線は“暴力の街”“ヤマの女”として有名で花の町<通称ヤマという>に16軒52名」と記載されていて、昔はヤマとも呼ばれていたって、そんな「山谷」みたいに呼ばれてもって感じですが…

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赤線は例によって昭和33(1958)年の売防法施行で営業終了になったのであろうが、その時代のカフェー建築っぽいものや妓楼っぽいものがそこかしこに残っていて、やたらと生々しいのが「花の町」の特徴なのである。

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中央分離帯を挟んで二車線分あるかつての色街のメインストリートは一部住民の駐車場として活用されていた。昔はこの赤線地帯から温泉街にまで客引きが押し寄せて強引な商売をしていたらしい。

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で、もっともらしくいかにも臭い建物がこれ。二階建ての木造家屋、しかし一階部分はカフェー建築風味のファサードが仕込まれていて、ピンク色と空色のペンキがベッタベタに使われている。現役時代にはさぞかしドギツイ原色を放っていたのであろう。

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建物の左脇から伸びる路地。建物の勝手口はこちら側にあり、現役当時にはここから酌婦と客なり居住者が出入りしていたのかも知れん。外れた窓枠が積み置かれていた。

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勝手口には引き戸が三枚、中はレースカーテンで隠れていて見る事はできないが、入り口自体に支え棒を挿していて外部の侵入者を拒んでいる。新聞受けには沢山の郵便物やチラシが挟まったままになっていた。家の主はどこに消えたのか。

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正面側の嵌め殺しの窓もセンスがオツ過ぎて言葉も出ません。昔ここから酌婦が顔を覗かせて遊客を誘っていたのだろうか?

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玄関ドアはこの手のカフェー建築にありがちな斜め向き。やはりこちら側もベニヤ板で玄関ドアがガッチリ塞がれていて、あまつさえゴミ集積場に使われていて、生ゴミ収納ボックスが置いてあるという始末。

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玄関横の窓格子に固定されたままの鑑札。「風俗営業等取締法の規定により 営業時間は午前九時から午後十一時までです 十八歳未満の方は客として立入りできません 営業主」とある。

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建物正面右側のブルーな感じに統一された部分、以前はたばこ屋だったらしく看板が残っている。赤線廃止後は単純に街のたばこ屋として細々とやっていたんでしょうかね。

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ブルーの窓格子の隙間を見ると窓ガラスが割れていて、そこから店内の様子が丸見えになっていた。使われなくなったガラクタが放置状態になっているが、恐らく売防法施行後も純粋なバーとして営業していた時期があったのかもな。

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