東海道掛川宿・旧掛川町遊郭の現存妓楼「萩の家旅館」のあばら家っぷりを一目見たかった

静岡県

東西にクソ長い静岡県。その中でも伊豆地方を除けば「遊郭」というジャンルに絞ると随分見所に乏しい印象がこれまであり、あの吉原遊郭の前身となる静岡市の二丁町だって今では全然それっぽいものは残ってないし、ネット上の遊郭歩きの有志のレポートも比較的少ない。まあそれでも遊郭跡は探せばあるにはあるので、どこか見所のある場所はないかなと探していたら、掛川市が目についた。

静岡県掛川市 掛川

…という訳で掛け替えの無い連休を投じて掛川へ出掛けた訳だが、掛川と言えば宿場町でなおかつ城下町。ご立派な掛川城がまぶしいっすね。浜松と静岡の間に挟まった町で、新幹線でいつも目の前は通っていても9割9分の確率で素通りしかしない町ですが…

静岡県掛川市 掛川

掛川の中心市街地は非常にシンプルな造りをしている。JR・天竜浜名湖線の掛川駅から真正面に掛川城に至る駅前通りがあり、途中の連雀西交差点から東西に旧東海道が通っておりそれぞれ連雀商店街、中町商店街が伸びている。しかし商店街の寂れっぷりがとにかく容赦無い。商店街はまた別の機会にレポートしようと思うが、今回はとにかく遊郭跡が見たい。

静岡県掛川市 掛川

連雀西交差点から「中町商店街」をひたすら西方向に歩いて行く。城下町にあった遊郭のセオリー通り、掛川の場合も町外れにかつての遊郭があった訳で、商店街の突き当たりの「十九首」(じゅうくしょう)という地名のあたりがそのような場所だったらしい。

静岡県掛川市 掛川

元からオワコン状態な中町商店街を抜けてその先をずーっと行った所に「創業大正十五年」の文字が躍る老舗の大衆食堂「キネマ食堂」が現れる。この店舗は旧掛川町遊郭が現存していた時代から営業していた店で、ラーメンや定食物から酒の肴まで幅広く扱っている地元民御用達の食堂である。

静岡県掛川市 掛川

中心市街地付近はまっすぐ伸びていたはずの旧東海道はキネマ食堂付近で旧遊郭地を避けるように北西方向に折れ曲がる。その先に東光寺という古いお寺があり、その敷地に「十九首塚」という当地の地名に由来する「あるもの」が祀られている。

静岡県掛川市 掛川

この東光寺、平将門伝説に由来する寺であり、境内には千葉の成田山新勝寺の不動明王を勧請した不動堂がある。静岡県遠州地方では数少ない「成田山遥拝所」の一つだ。藤原秀郷が討伐した平将門一族19人の首を持って京へ運ぶ途中ここに祀られたという話らしいんですが、日本三大怨霊の一つ、平将門ゆかりの地がよもやこんな場所にあろうとは…境内の奥に十九首塚とやらがありますが、我々が見たかったものは遊郭跡だし、祟られるのも嫌なので端折ります。

静岡県掛川市 掛川

掛川の遊郭跡は「十九首裏」「十九首遊郭」、または現町名で「小鷹町遊郭」などと呼ばれていたもので、戦後の売防法施行時に廃止され、その後は転業旅館などになったそうだが、今やってくると完全に住宅街と化していて風情は全く消えて無くなっている。なぜか一部分道路が未舗装のままなのが気になるが、あえて特徴を言うならば、遊郭跡にありがちな「そこだけ不自然に広い街路」が残っているくらいか。

静岡県掛川市 掛川

そんな不自然な街路に沿っていきなり姿を見せるのが、この崩壊寸前の廃屋。建物全体がへしゃげていていつ何時自然崩壊してもおかしくない程ボロボロになってしまっている。これが現在の旧掛川町遊郭で唯一残っている元妓楼「萩の家旅館」なのである。

静岡県掛川市 掛川

建物があまりに歪んでしまったせいで窓枠や雨戸がガッタンガッタンになってしまっているが、いつ頃この建物が旅館として廃業したのか、詳しい年代は分からず。昭和50年代くらいまでは営業していたらしいですが…

静岡県掛川市 掛川

一階部分を見ると、建物の重みでかなり内部がへしゃげていて、引き戸のサッシが前に押し出されている様子も見て取れる。何かの修理工場でも営んでいたのか?と思えるような残骸が入口周辺のガラクタから判断できるが、よくこの状態で長年放置プレイが続いているものだなあと逆に感心してしまう。

静岡県掛川市 掛川

元転業旅館の趣きはやはり二階部分の意匠に濃く現れていて、昔はこの窓からお姉さんが手招きしていたのかなあと勝手な想像を巡らせる。遊郭時代は「喜楽楼」という屋号が付いていたらしいですよ。

静岡県掛川市 掛川

建物自体、土台からやられているようで両端から内側に崩壊が進んでいるせいか、屋根の部分も建物中央が崩れ始めているのが確認できる。いずれにしても自然に崩壊するか、行政代執行による解体を免れないか、いつ見られなくなっても不自然はない状況。

静岡県掛川市 掛川

そしてこの元妓楼、玄関先には今も屋号を示した鑑札が掲げられたままになっている。「公衛第拾九號 旅館営業 萩の家」とはっきり読める状態だ。とうに空き家になってしまいどのくらい時間が流れたのか定かではないが、もし地主が生きていても、見て見ぬふりでほったらかしなのは目に見ているしだな。

静岡県掛川市 掛川

この遊郭跡には萩の家の他にももう一軒「すヾもと旅館」(旧鈴本楼)という転業旅館があったが、2010年頃に解体されて無くなっている。赤線廃止直前まではこの二軒が最後まで営業していたという事らしく、現役時代もせいぜい五軒くらいしかなく、城下町の遊郭としては結構規模が小さかったようにも思える。掛川の遊郭跡に関しては他は本当に見所が乏しいので、これ以上オチもありません。


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