仙台駅から青葉通りに沿って広瀬川に架かる大橋を越えたすぐ左手に広がるのが追廻地区である。歴史的にも仙台城の一角を成す重要な場所であるが、その土地は長年の戦後処理のゴタゴタでどうにも手がつけられない状態が続いている。
相変わらず整備もされずデコボコだらけの波打つアスファルトを眺めながら虫食いだらけの追廻住宅に残るバラック民家の一つに近づく。
そこは個人宅の一つであるとは思われるが、広瀬川に面する建物玄関側には何らかの看板が掛かっているのが見える。
「宗教法人敬神崇祖自修団天聖会」と書かれた、聞き慣れない教団名の看板が掲げられている。田舎の暴走族のセンスでもないし、なんだか奇妙なネーミングだ。調べてみると、福島市に本拠地を置く法華系新宗教の一つであるようだ(→詳細)
宗教法人の看板が掛かる家の前には自家用車が置かれているが、総じて生活感が抜けきっている。戦後の仮設住宅時代からそのまま使われている建物であろう。インフラ整備が遅れている為か、追廻住宅でガスは全てプロパンが使われている模様。
広瀬川を挟むと一転して近代的なマンションが並ぶ仙台市街地の景色が眺め良く見られる。近くて遠い仙台の街。広瀬川は仙台の豆満江、追廻地区は仙台の中朝国境地帯である。むろんこちらが北朝鮮側であることは言うまでもない。
そして引き続き殺風景でどうにもならない街並みが続くのだ。背後には仙台城が建つ青葉山がそびえる。都会と自然が隣り合う、杜の都とはつまりこういう事なのだ。
そんな追廻地区の一角に、忘れ去られたかのように佇む小さな神社がある。鳥居の右側に「追廻大明神御寄附芳名板」と書かれた掲示板が置かれているが、中身がどこかに吹っ飛んでいて存在していない。こりゃ酷い。
追廻大明神と言われてきたこの神社だけが、かつての街の営みの生き証人であるかのごとくその存在を示している。
既に住民が立ち退いて廃屋と化しているのか、外観がかなり荒れ気味な民家も見られる。
追廻地区住民には立ち退きに伴う移転補償として、仙台市側は宮城野区の仙台政府倉庫跡地に建設中の市営住宅が用意されている。住宅完成予定の2011年3月を目処に、同年5月末を明け渡し期限としている。
追廻地区入口の案内板にあった通りかつては仮設住宅がぎっしり並んでいたような場所で、それなりに商店もあって街として賑わっていたそうだ。それらは半世紀に渡る立ち退き交渉で徐々に数を減らし、現在に至っている。
かつて街の一部を構成していたであろう、交差点のカーブミラー、とまれの標識までもが痛々しく錆びついたまま残されていたり、あるいは路上に捨てられている。
仙台市の青葉山公園整備計画は2015年の地下鉄東西線完成の時期に合わせて進める予定でいるそうだ。地下鉄開通時にはこの近くに国際センター駅が建設されるが、その頃には追廻地区の存在も幻のものとなるであろう。