再度追廻住宅の中心地区と思われる大通りに出た。そこにはかつて商店だったと思われる2階建ての住居が残っているが、テント屋根がビリビリに破けてしまっていて見るも無残な姿だ。
長年移転交渉に揉めていた追廻地区の住民も、あと5年やそこらで否応なくこの土地を離れる事を余儀無くされる。いくら仮設住宅の名残りで不法占拠だどうだと言われていても半世紀も問題が長引いてしまうと、どうしても割り切れない感情というものが湧き上がるものだが。住み慣れた土地を離れるのはやはり辛い事ではある。
追廻地区の南側に行くと、今でも結構まとまって家が残っている一角がある。地区全体ではここが最奥部である。
季節柄だろうか、空き地となった草むらからは紫色や白の花が咲き出している。
場所が場所だけに地区の住宅は原則新築が禁止されているが、追廻地区に残る住宅を見るとおおよそ築30年程度と思われる家が目立つ。その頃までは恐らく家を建て直す事が認められていたのだろうか。
改めて地区を南側から眺めると、昔整備された道路や電柱だけが残り家々が斑模様に点在する光景はかなり違和感を覚える。
静かに街そのものの寿命を待つかのごとく佇む路地。つい十数年程前までは、かつてはこの両側にバラック住宅がぎっしり並んでいたのだ(→昔の追廻地区の写真)
仙台市による家屋買い取りが1972年から進められ、徐々に住宅の数が減って現在に至っている。
立ち退き問題を抜きにすると、背後に青葉山、目の前には青々とした草むらが広がり実に牧歌的な都会の田舎ライフに見える。まあ傍から見ただけの感想だが。
それにしても共産党ポスターがあまりに多いので何でだろうと考えてしまうのだが…
共産党だけかと思ったら公明党のポスターもあった。でも見た感じかなり古いものである。色褪せて何が書かれているのかちゃんと読む事が出来ない。
追廻地区の最奥部は青葉山公園の一部となっていて、テニスコートが広がっている。休日ともあってコート全面で汗を流す市民の姿があり、実に健康的。
そんな傍らで、じわりじわりと廃村の時を待ち続けるかのように毎日を過ごす川内追廻地区の姿が対照的である。
近い将来、街は取り壊され青葉山公園の一部となり、存在そのものも消え忘れ去られる運命にあるが、おおよそ70年近い戦後処理のプロセスはあまりに長過ぎる事だけは確かだ。