【名古屋市】話題の“あいちトリエンナーレ”でアート作品化した超絶昭和レトロ空間「伏見地下街」

愛知県

最近ネット上でもやたらと右に左に騒がしくなっている問題、愛知県名古屋市で3年に一度開かれる国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」において「表現の不自由展・その後」と銘打った企画展にて“反日アート”を乱発しまくって大炎上している一連の顛末…まあ、名古屋と言えばあの中日新聞のお膝元なので“言わずもがな”な感じがありますが、酷いのなんの。

今回はそんな「あいちトリエンナーレ」に絡んだ物件を一つ紹介したい。やってきたのは名古屋市の中心部、伏見駅近くの錦通である。このへんに来ると真っ先に思い浮かべるのが、このくどいばかりに連なる「長者町繊維街」の巨大看板なんですけれども…

名古屋最古、昭和32年に完成した築60年オーバーの地下街

名古屋中心部の名古屋駅と栄の中間地点にあって、どちらかと言うとオフィス街の趣きが強い伏見界隈、そこに古くからの繊維問屋街も残っているという場所、ここに「伏見地下街」というとてつもなく古臭い地下街が鎮座している。それはいいのだが、地下街の入口が何やら青色一色の奇妙なアート作品と化しているのが目につく。

そこはあたかも現代人を“異空間”へ誘うゲートウェイなのか、傍目に見た限りでは一体何をやりたかったのかよく分からない空間なのだが、どうも2013年に行われた第二回あいちトリエンナーレで地下街まるごとアート作品になってしまったという事例らしい。

早速階段を降りて伏見地下街の様子を見ることにしよう。やたらと天井も低く古ぼけた設備が目につく。東京ならば地下鉄銀座線浅草駅に直結している「浅草地下街」の雰囲気に近い感じがする。これでソース臭プンコラ漂わせる焼きそば屋とかエロDVDとか売ってる店でもあれば面白いんですが、そんな展開はなさそうです。

そして階段を降りた先には人通りも皆無な薄暗く陰気臭い地下街が広がっているだけなのである。全長240メートルあるが、全く地下街として栄えている様子はない。名古屋にはユニモールだのサカエチカだの、買い物客でごった返す地下街は数あれど、ここはまるっきり忘れ去られたようになっている。

一応ここ、地下鉄東山線伏見駅の東改札口(栄・星ヶ丘方面ホーム)とも直結していて、大勢の通勤客の動線上にあるはずなのだが、人が寄り付く要素も皆無である。名古屋市営地下鉄の東山線っつったら、大阪で言えば御堂筋線クラスの大動脈っぷりを見せる路線でございますよ?

そもそもこの伏見地下街が何のために作られたか、誇らしげに飾られている「地下街系図」と称するプレートにきっちりと記されていて、そのヒストリーを一発で理解できるのが素晴らしい。「長者町地下街」とも呼ばれているようですよ。

昭和32(1957)年に地下鉄東山線の名古屋-栄(当初は栄町)の2.4kmの区間が開通、その途中駅である伏見駅(当初は伏見町駅)が開業したのとほぼ同時期に、駅と長者町繊維街の間を結ぶ「地下繊維問屋街」として開かれたのが始まりらしい。…という事は“60年オーバー”モノの地下街ですか…ほほう…

地下街の中を見ると、そんな昭和ど真ん中の時代からおおよそ何も変わっていない地下繊維問屋街の趣きも僅かに感じられる。愛知・岐阜の両県、とりわけ一宮市から岐阜市のあたりまで、その昔は繊維産業で栄えていた地域を衛星都市に持っていたのが名古屋という都市だったが、すっかり衰退著しい。

ちょっと日本語がおかしい感じがする理容室。平日のサラリーマンが寄り付く時間帯にはそれなりにお客がいるのかも知れない。「高級普通調髪 1100円」という、どう見ても高級っぽくない価格帯も気になる。

さっぱり盛り下がりっぱなしの地下街の片隅に名古屋テレビ(メ~テレ)のローカル番組でやってきた山田邦子のサイン色紙が自慢げに飾られている。日付は2004年とたいそう古い。90年代のテレビで芸能界の頂点に君臨していたのに突然干されてしまった有名人。名古屋で細々仕事していたみたいっすね。

そもそも寂れて見えるのは時間帯が朝早かったからというのもある。朝っぱらからやっている店と言えば、この純喫茶の王道的な店構えな名古屋名物の喫茶店「伏見珈琲館」くらいだろうか。地下街が開く朝7時半から11時まではモーニングサービスを提供中。トーストかサンドイッチを付けて360円とかだもの、コスパ良いっすね…魅力に乏しい大都会名古屋で自慢できる数少ない要素である。

で、そんな喫茶店の店先にも青色一色の奇妙なトリックアートが容赦なしに描かれまくっていて軽い錯覚を起こしてしまいそうになる。これは2013年のあいちトリエンナーレで来日した台湾の「打開連合設計事務所」なる団体が手掛けた「長者町ブループリント」と称する作品、ということらしい。

アートイベントでテコ入れしてはみたものの、やはりなんとも寂しい地下街でしかないが、まだ平日夕方に来れば、潰れた問屋街のテナントの居抜きで居酒屋が多数入居しているようで、もう少し違った姿が見られるかも知れない。あと訪問したのが2015年冬だったので、この写真自体少し古くなっている。

あいちトリエンナーレが“魅力のない都市・名古屋”にもたらしたもの

あいちトリエンナーレ自体、2005年の愛知万博で大盛り上がりだった一方、その後の2008年に起きた「リーマンショック」で経済が失速していた当時の愛知県が主体となって国際的アートイベントをぶち上げたものだ。当時の愛知県知事だった神田真秋氏が2007年の選挙で当選した時、公約として掲げていた「国際芸術祭の開催」がこのイベントの出発点だったわけだ。2010年に第一回が行われ、今年で四回目である。

だがそのイベントも、芸術監督として招いた人物が政治的に偏りのある人間で、政治的に偏りのあるアート作家を招いて、政治的に偏りのあるアート作品を“表現の自由だから”とばかりに陳列した結果、取り返しのつかない騒動にまで発展してしまった。そんなに“表現の自由”を駆使して反日プロパガンダを垂れ流したいなら、公的機関を巻き込まずにひっそり高円寺あたりの薄汚いイベントスペースで内輪で盛り上がっていれば誰も文句は言わなかったのだ。

現在、あいちトリエンナーレは公式サイトの協賛企業一覧を削除、大村秀章愛知県知事も自身のツイートを削除するなど、この騒動の成り行きは留まるところを知らない。主催者である愛知県や関係各所には事態を収拾するための説明責任があるはずだ。ただでさえ“電波左翼便所紙”でお馴染みの某新聞社のアレなイメージがあるのに、「愛知県は反日だ」とレッテルが張られ、この地域にとって負の遺産として重くのしかかることだろう。

どこまでこの問題が世間に波紋を広げるのか、今後も注視することにしよう。


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