沖縄市照屋にあった赤線地帯「黒人街」の名残りを求めて (2)

コザの「黒人街」と呼ばれた何やら物騒な響きの街。コザ十字路近くの沖縄市照屋はコザ二大繁華街の一つでもあり、戦後の一時期には米兵の盛り場が隣接していた。ここは黒人街でゲート通り付近に白人街、肌の色で棲み分けが行われたのは、度重なる米兵同士の縄張り争いの結果だったそうだ。
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もちろん今となってはそんな物騒な光景も見られず、商店街自体も寂れてしまった通りがかる人の姿もなくひたすら寂しいばかりの街並みが広がっている。銀天街(旧本町通り)のアーケードが途切れた先の道を進んでいくと、かつての盛り場の中心になる。


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そこから緩やかな上り坂とともに道が右側に折れている。黒人兵向けのバーだけでなく怪しい連れ込みホテルが立ち並んでいたのがちょうどこの辺だったようだ。
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何よりも目を引くのがこのカーブ付近で古いバーなどの建物が見事に連なっている光景である。今ではフツーの一軒家と化しているが薄汚れた壁の一部にはかつてバーだった頃の店の屋号と思しき文字や塗装が明らかに残っている。
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平屋建ての店舗跡。見るからに怪しげな外観通り、連れ込みホテルの跡だったらしく「HOTEL KOTOBUKI」と書かれているのがくっきり見えている。さらにその上には「ひかり食堂 そば 其の他」の文字が。ホテルの後に食堂になり、現在は廃墟。外観から店の経歴が分かってしまうという例。
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さらに裏手の路地には「ホテルプリンス」という連れ込みホテルの建物が残っているが、うっかり失念してしまい見逃した。この駐車場になっている辺りもホテル街。
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米兵の中でも黒人兵は差別の対象で、公民権運動の最中の話なので今よりもなおさら居場所のない彼らにとって照屋の街は黒人兵達の「聖地」でもあった。そんな照屋に白人兵がふらふら遊びに来た日にはたちまち黒人兵達にフルボッコにされてしまう。
積み重なった人種間差別の軋轢で巻き起こったのが1971年の「第2次コザ暴動」である。
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旧本町通りのカーブ手前の路地に入っていく。貸し部屋1日千円よりと書かれたアパートの広告。ここも「黒人街」の時代にはホテルだったようだ。
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路地裏にもびっしりと古い商店の残骸が残る。沖縄独特のコンクリートと穴あきブロックを多用した家屋。おおむね築50年以上は経っていそうだ。
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国道329号(コザ高通り)の一本内側の路地。黄緑色のペンキで塗り固められた簡易的な家屋。その奥には立派な4階建てのコンクリートビルに「座間味製菓本店」と書かれているのが見える。
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家屋の隣には1階部分がガレージと化しながらも明らかに米兵向けのクラブだったと思しき建物があった。
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紛れもなく「バー・オレゴン」の跡である。くっきり見える「OREGON」の文字。その右下にはかなり古いめの「ペプシコーラ」のロゴも確認出来る。
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「座間味製菓本店」の建物。既に店自体はやっていない模様。この建物の大きさから見てもさぞかし繁盛していたのだろう。
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路地を抜けた先には古い琉球家屋。その先は新しいマンションなどに変わっていて風情が損なわれている。
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そこにも一軒だけ黒人街時代の名残りの店があった。英語併記の看板が残る散髪屋の店舗跡だった。
胡屋十字路付近の「白人街」は今もそれなりに機能しているのに対してこちら照屋の「黒人街」の名残りは古いバーやホテル、テーラーショップや散髪屋といった店舗の建物にしか見当たらない。その点が逆にレトロ廃墟好きの心をときめかせてくれる訳だが…
もっとじっくり見たかったが時間が足りず、結局この辺で引き上げる事にした。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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