日本最大の医療グループ「徳洲会」による一連の選挙違反事件。難病ALSを抱えながらも唯一動く眼球の筋肉だけでなおも意思の疎通を図って組織を統率し続けていた徳洲会グループの生みの親、徳田虎雄理事長の大ボスっぷりはテレビ報道でその姿を見ていると一種異様にも映る。自身の幼少期に弟を亡くした経験から医師を志し、以後の人生を執念だけで動いてきたような人物だが、その徳田虎雄氏が生まれ育ち、これまで徳洲会グループによる異常な選挙活動を繰り広げてきた地盤となってきたのが、奄美群島にある徳之島だ。
そんな徳之島へ渡るには鹿児島や大阪から出航している沖縄航路で行く事になる。沖縄返還前までは与論島や沖永良部島、奄美大島などと同じく新婚旅行のメッカになっていた島らしいが、海外旅行が一般化してからは観光客はぱったり途絶え、観光色は全く消えてしまっている。我々はマルエーフェリー・マリックスライン二社が運航している鹿児島-奄美-沖縄航路で本部港を出て与論島に立ち寄り一泊、その後徳之島の亀徳港から上陸して、この島で一泊してみる事にした。
鹿児島市の南南西468キロの位置に浮かぶ徳之島。亀徳港から上陸すると、待合所の周辺はせわしなく動き回る荷役作業の車両や人々が行き交っている。奄美大島よりも沖縄寄りになる訳だが、徳之島から南になると方言や風土もいよいよ沖縄っぽさを増してくる。
亀徳港の岸壁にはコンテナに積まれた牛が数十頭、積み込み作業を待っていた。そういえば徳之島と言えば「闘牛」で有名な島だった。ネット上では「戦闘民族徳之島ガイドライン」なんてのも出回ってるくらい血の気の荒い島民性でも知られ、戦後関西や沖縄などで暗躍してきた暴力団員などアウトローの世界にも徳之島出身者が多数いるなど、まあアレな噂はよく聞くもので、奄美大島に行くならついでに徳之島にも行っておこうぜという経緯でやってきたのである。
亀徳港から少し距離を置いて、一応島の中心らしい徳之島町の市街地がある。あまり大きな建物もない島の中でもひときわ目立つ立派な建築物があるなと思ったらここが徳洲会病院だった。徳洲会グループは全国進出どころか東欧・ブルガリアやアフリカ・エチオピアといったマイナーな諸外国にまで病院を建設しているのだが、総本山と言ったらここ徳之島。虎雄氏の次男の選挙時にはグループの職員が鹿児島に集まり選挙活動を繰り広げていたとか何とか。それより病院の真向かいが葬儀会館というのはたまたまにしても、縁起が悪い気がするんですが。
徳之島は鹿児島県大島郡徳之島町、伊仙町、天城町の3町で成り立つ人口約2万7千人の離島であるが、徳之島徳洲会病院はこの島の中心的な医療機関。鹿児島県離島部においては徳之島に限らず、奄美大島、喜界島、屋久島、沖永良部島、与論島の各島に系列病院があり、それぞれ離島医療の拠点として機能している。選挙違反事件の渦中にある徳洲会グループ創設者、徳田虎雄氏の理念に基づいて、わざわざ病院が少ない離島や僻地を選んで病院を開設してきたという歴史がある。
で、そんな徳之島徳洲会病院の真裏に、徳田毅氏の選挙事務所がこれ見よがしに置かれているというわかりやすい展開。公明党本部が信濃町にあるくらい非常にわかりやすいです。「情熱・挑戦・真っすぐに!」の行き着く先がお粗末過ぎて…でも他が同じ事やってないとは到底思えないんですけどね。選挙って汚いもんでしょ基本的に。
「生命だけは平等だ」とキーフレーズに、貧しく病院に恵まれない離島に住む人々に高度な医療を提供し信頼を勝ち取ってきたはずの徳洲会だが、形振り構わぬ強引な選挙活動のせいで、今回きついお灸を据えられた形になる。徳田毅氏は自身のスキャンダル問題も抱えているし、今回の事で自民党を離党したのだが、そもそも医師会に反発してきた徳洲会の次男坊がなんで医師会の支持する自民党にいたのか謎。政治ってようわかりませんわ。
徳之島で最も人通りが多いと思われるのが、徳之島町亀津地区の中心市街地にある、徳之島で唯一のデパートらしい「ダイマル」の前。山形屋もそごうもない島だがダイマルはある訳だ。買い物客が殺到しまくっているが、まあ極普通のスーパーマーケットといった雰囲気でした。かなりの遠隔離島ではあるが、ちゃんとコンビニ(エブリワン)もあるし、ホームセンターニシムタまである。日常生活には困る事はないだろう。
亀津地区は個人商店が密集していて、商店街と呼べる程のものでもないが、それなりに中心市街地らしい雰囲気も見せている。しかし奄美大島にある屋仁川通りのような艶っぽい一画は見かけられなかった。
ともかく徳之島と言えば闘牛の島である。島の誇りでもあり薩摩藩の時代から400年の歴史があるという徳之島闘牛の拠点となっている施設を見に行く事にした。島に闘牛場は複数あるが、特に2012年秋にできたばかりの最新設備が整った伊仙町の「なくさみ館」の建物は非常に立派である。「なくさみ」とは「慰め」の方言で、薩摩藩時代の圧政に苦しめられていた島民の唯一の娯楽として許されていたのが闘牛。施設の名称に「慰め」という言葉を用いるあたりに独特な歴史を感じさせる。
そこはかとなく漂う牛糞の匂いがアグリカルチャーな気分を誘う。まあ一泊二日の予定でそんなにタイミング良く闘牛が見られる訳もないので、なくさみ館に付属する資料展示室にお邪魔して色々と写真や映像資料を見せてもらった。ちなみに日本で闘牛を行っているのはここ徳之島と、沖縄のうるま市石川、あと本土では愛媛や島根、新潟、岩手のごく一部くらいしかない。
徳之島ではお馴染みの闘牛大会のポスターも、島外のよそ者から見ればかなり珍しく思える代物だ。薩摩藩の時代から今の今まで、この島では闘牛は各家庭の財産であり誇りである。年に数回しかない闘牛大会の為、丹精込めて牛を育てあげている。闘牛用の牛として飼育されるので、傷ついたり年老いたりして戦えなくなっても食肉に下ろされる事はない。彼ら闘牛は家族同然の存在なのである。
闘牛の本場徳之島でも珍しい、立派な屋根付きドームのついた円形の闘牛場はその場にいるだけでも熱気が伝わってきそうな迫力がある。闘牛開催時には島中総出で贔屓の牛を応援し、男ばかりか女子供も揃って盛り上がる。んで、こっそり賭け事をしているお父さんがいたりするらしいが、あまつさえ選挙の時にもどっちが勝つか賭けたりするとか噂があるんだけど本当かしらね。
そんな最新式の闘牛場にも「生命だけは平等だ」と徳洲会の広告がズバーンと出ている訳でして、島と徳洲会は切っても切れない深い関係にある。徳田虎雄氏が国政選挙に打って出た時期にこの島では既存の自民党候補を相手に「保徳戦争」とも呼ばれる闘牛顔負けの骨肉の争いを繰り広げてきた。現在でも町長選挙の時には鹿児島県警の機動隊が本土から動員され異常な警備体制の中で投票が行われる。そんな島は徳之島以外に、ちょっと聞いた事はない。
ALSという不治の難病に侵され眼球以外の筋肉が全く動かせなくなっても、日本最大となった医療グループを一手に指揮し続けてきた徳田虎雄氏が生まれ育った徳之島。この島の特異な土壌が彼をそうさせたのか定かではないが、常人の理解を超えた執念を感じさせる人間である事は間違いない。虎雄氏は選挙違反事件の責任を取って徳洲会の理事長から身を引いた訳だが、今後はどうなるんでしょうかね。
徳之島はハブがよく出没するらしく町役場にはこんな看板が…「ハブより怖い飲酒運転」…
そりゃ一番怖いのは人間ですよねえ。あと徳之島は他にも色々と行ったので、気が向いたらレポートを追加したいと思う。