リトル奄美・琉球「鹿児島市三和町」界隈を歩く (1)

南国鹿児島と言えばかつての薩摩藩の存在が真っ先に思い浮かぶ訳だが現在の鹿児島県も本土から大きく離れた奄美諸島までも県土に入っていたり随分広大である。そしてどこの土地にも差別というものが存在するのだが、鹿児島においても奄美など離島出身者は差別の対象であった。

その手の話を探すとまず挙げられる場所が鹿児島市三和町という土地である。大隅半島側の垂水行きフェリーが発着する鴨池港のそばに低層住宅地ばかりが連なる一画があり航空写真で見ても分かりやすい。この土地は奄美や沖縄などの琉球諸島出身者の集住地となっている。



三和中央バス停の前に来るとのっけから奄美系肉屋の店舗が一軒見られる。何やらやたら個性的な「肉のハッピー」ですが我々が来た時には店が閉まってました。

店先に吊るされた豚さんの手作り看板がこれまた味わい深い。元から豚肉消費量の多い鹿児島ですが奄美や沖縄だってそうですね。肉だけに限らず奄美の食材も取り揃えているようです。

そして気になるのが店主手作りだろうと思われる謎のオブジェ。水車とかよく分からないカラクリ人形とかがあれこれ置かれているが…

恐らく水車の動力で勝手に動く人形なのだろうが水が流れていないので動きませんね。創作意欲激しい街のお肉屋さんです。

奄美系住民だけではなく沖縄系住民も多いのがこの界隈である。この通り「琉球舞踊教室」の看板もある。看板の矢印に導かれるように、三和町の路地に足を踏み入れてみる。

そこには平屋建てないし二階建てで比較的間口の狭い古びた一軒家ばかりが路地の両側に連なる下町風味な街並みが広がっている。家がボロかったり都市ガスが通じていないのかどの家の前もプロパンガスのボンベが置いてあるくらいで、別段雰囲気がヤバいという事もない。

三和町の街路は整然と縦横に巡らされていて所謂戦後のドサクサ感というものは見当たらない。時折ガラクタだらけの家があったり無駄に個性を放つ物件が見られる程度でごく普通の下町ですな。

路地に立て掛けられたリヤカーが哀愁を誘う。もしかするとこれでダンボールとか空き缶とか拾ってらっしゃるのでしょうか。

やけにDIY感激しいお宅やガラクタだらけの民家が多いのが三和町の特徴です。物を大事にする文化、自分の使いやすいように改造する知恵は見習いたいもんですね。

奄美の特産品と言えば全国的に有名な「大島紬」があるのだが、リトル奄美の三和町には大島紬の業者が何軒も店を構えている。

「本場大島紬織元」の看板を掲げる店舗。ざっと歩き回って見つけた分だけでも3軒ありました。

このような大島紬の販売業者だけに限らず共同作業所も三和町内にあり、鹿児島県本土側で随一奄美の伝統文化を残している土地にもなっている。

三和町には町内北西部と南東部に二軒の銭湯が現役で営業している。そのうちの一つ「新川湯」。現在も新川河口にある三和町だが、かつては新川町と呼ばれていたらしく銭湯の名前もそこから来ている。

さらにもう一軒「亀乃湯温泉」は真っ黄色でド派手な外観が特徴的。街は寂れているが思いの外多くの客がひっきりなしに出入りしている。ここいらはまだまだ風呂なし物件が多いんでしょうか。

銭湯だけに留まらず下町にはありがちな昔懐かしい佇まいの「何の変哲もない駄菓子屋」も近年少なくなってきましたが鹿児島の三和町には現役で残っている。時代は未だ昭和のままでございます。

駄菓子屋の店先に野晒し状態にされているレトロゲーム「国盗り合戦」の筐体…これ動くんですかね…「沖縄」は存在感があるから何かと注目されるけど、「奄美」の存在は鹿児島に隠れてあまり見えません。そもそも奄美は同じ鹿児島県なのに鹿児島新港から出ているフェリーに乗って一晩明かさなければ行く事ができない。飛行機使えとか野暮な話はなしで、今なお遠い土地なのである。

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神谷 裕司
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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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