【徳島市】徳島アンダーグラウンド地帯「秋田町遊郭跡」を歩く

徳島県

徳島市の遊郭は秋田町にあり、Wikipediaに書かれた情報によると「明治初年に阿波藩主蜂須賀氏の徳島城から局長家を移して遊女家を許可したことに始まったものとされている」との事である。この秋田町遊郭(富田新地)は戦災によって一度壊滅し、戦後に赤線地帯「南新地」として復活、それが売防法施行後半世紀以上が過ぎた平成の世である現代にも細々と生き長らえているというのだ。

四国もまた関西と同じく非合法売春(ちょんの間)地帯が図太く生き残る特殊地域が何箇所か存在するようだがそれは徳島県にもあった。その場所は秋田町および栄町五丁目にあたる。通称「パンパン通り」とも呼ばれているらしい。まあ露骨なネーミングだわ。

五丁目ともなるとネオンギラギラな歓楽街からはかなり遠ざかり、鉄道駅で言うならば徳島駅より2つ目の牟岐線二軒屋駅の方が近くなる。

遊郭跡への目印は地元の葬儀会社「ヤラカス」の葬祭式場ヤラカスシティホールの建物である。こんな一見何も無さそうな場所に来て何をやらかすのかそれは事情を知る者のみしか知り得る事ではない。

葬祭式場の南西側の通りに足を踏み入れる。どうやらここがかつての遊郭跡らしい。とは言え飛田新地よろしくたいそうな妓楼が並んでいたりする事もない。いたって普通そうな住宅地だ。まあ、戦災で一度壊滅している土地にレトロを求めてもしょうがない。

確かにちょいちょいと古臭い長屋が残っていたりとそれなりに昭和ブルース的物件は残っているが事情を知らなければただの古ぼけた住宅地でしかない。さてどうしようかと思案にくれてもう一度日が暮れてから再訪する事にした。

夜になってこの通りを訪れるとここがどういう場所かひと目で判断できるはずだ。何の変哲もなかったはずのあちこちの住宅の玄関が怪しいピンク色の街灯を浮かべ、そこからお姉さんやおばさん達が体半分外に出して通りがかる人の姿を伺っている。それも松山土橋のように行き遅れた感じもないのがアンバランスで奇妙に映る。

特に目を引くのが、この一見するとただの貧乏臭いアパートにしか見えない薄紅色のサイディング材が施された二階建ての家屋。これが夜になるとアムステルダムの飾り窓のごときレッド・ライト・ディストリクトに変わる。周囲が街灯も少ない暗闇なので余計に目立つのだ。

さすがに暗すぎるし状況もヤバイので夜の写真は撮れなかった訳だが昼間見てもこれが「そういう場所」とはまさか気づくまい。だが確かに我々取材班は夜間当該の路地を散策中にこの家屋に呼び込みのやり手ババアと嬢が待機していたのを目撃した。

よくよく眺めてみると赤線地帯の名残りらしき妓楼風の家屋が何軒か残っているのも見られるはずだ。もっともらしく玄関のガラスの開き戸の内側から赤いカーテンが引かれているのが昼間でも見える。

このような家屋が通りの両側に連なっているのが秋田町遊郭の特徴。ちょっと昔は両隣の通りもそういった店で占められていて、ちょんの間地帯として3つの通りがあったそうだが今では1つの通りだけ。かなり規模を縮小したそうだ。

注意深く見ていると並んでいる家の玄関がみんな似たようなすりガラスの引き戸だったりして異様な事に気がつくだろう。営業時間中は扉が大胆に全開になっていてだいたい女の人が立ってます。いや本当の話。

ようやくこの建物くらいで飛田新地レベルですかね。まあとにかく華もないったらありゃしないといった所で阿波踊りの勇壮華麗さに比べれば正反対のアンダーグラウンドな街並みが広がっている。

フツーの家っぽい建物が多い中、古風な造りが残る妓楼が一軒だけポツンとあった。玄関上の照明に古い屋号が刻まれているが判読出来なかった。

路地の南側にある某旅館も近所の「店」と同じ営業スタイルを貫いておられるらしく一般の旅館と同じ感覚で利用は出来ないようです。

すりガラスの玄関ドアの向こうから不自然に膝の高さまであるベニヤ板で塞がれているのが見える。これは主に冬場の「営業中」の時間帯にやり手ババア達の足が冷えるのを避ける為に置いているそうだ。どうやら玄関ドア開けっ放しがデフォルトのようだ。

さらに家屋に横付けでプレハブ小屋を置いている「店舗」まで…営業時間中にはこの小屋の中に年頃な感じの嬢が何人か待機しているのが見えるなど、目を疑う光景が飛び込んでくる。大阪の飛田やらは開き直った感があるから今更驚かないが、この場所は秘密めいていすぎて現実感が乏しい。21世紀の日本にまだまだこんな場所があるんですよ。

妓楼の軒先に干された洗濯物はもしや嬢の衣服でしょうか。見た感じじゃまだ枯れてもないのにこんな場所で春をひさぐその事情は…あまり深追いしないでおきましょう。ちなみに規模的な話をすると営業中の「店」は6~7軒程度。知る男ぞ知る闇の中の桃源郷。

あまり同じ所をウロウロしていても危ないので当該区域から脱出。表通りから見れば別段何の特徴もない場所。喫茶店とタバコ屋が並んでいるのだが、遊郭跡がある側の路地へと足を踏み入れると…

なぜか金融業者の名前が書かれたドアが現れるという展開…昭和のヤクザ映画のオチのようである。さらに隣にはアンティークな妓楼がぴったり並んでいて悲壮感をさらに演出していた。この土地はこれまでどのような歴史を刻んでいたのだろうか。


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