元ドヤ街だった福岡市博多港・大浜の赤線跡と高菜コピペの店を訪ねて

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こんな事を言うと熊本や鹿児島が気に食わなさそうだが、やはり九州を代表する都会なのが福岡県である。福岡市と北九州市という2つの政令指定都市を抱え、筑豊、久留米、大牟田など「一蘭」の豚骨スープばりに濃厚な街が目白押しのやばか県なのだが、東京から遠い事もあってそうそう滅多に行ける機会がないにも関わらず、北九州市の方が色々ヤバイのであんまり福岡市のネタをやっていなかった気がする。まあそろそろやる事にしましょう。

福岡市 博多港

やってきたのは博多港(博多築港)ですよ。釜山からの国際航路も発着し、福岡市の離島部や長崎県の壱岐・対馬行きのフェリーも出ている九州の海の玄関口である。ここにやってきたのは「昔、博多港の近くに遊郭がありました」という話を聞いての事だった。博多港は今となってはちょっとしたデートスポット的な観光地の一部になっている。ベイサイドプレイスとかいうのもありますしね。でも戦後は博多築港と言えば、西成や山谷や寿町などと同じく寄せ場(ドヤ街)があった土地でもあるのだ。

福岡市 博多港

ドヤ街らしい風景は今の博多築港ではすっかり見られなくなった。どうも福岡市というのは九州の表の顔として位置付けられているせいか街が小綺麗になり過ぎて我がDEEPアンテナがさっぱり反応してこない。石堂川(御笠川)の向こうの千代とか馬出とかはビンビン来るんですけど、そこはまたネタの性質が変わってしまうのでその事はまたいずれ。博多埠頭から見える年季の入った「博多ポートタワー」がランドマークである。通天閣や別府タワーを作った内藤多仲のタワー六兄弟の六男坊でございます。

福岡市 博多港

博多港の近くにあった遊郭というのは江戸時代以前からの歴史があった「柳町遊郭」と呼ばれていたもので、現在の福岡市博多区石城町、大博町、下呉服町付近に位置していた。この遊郭は九州大学医学部の前身である医科大学の設置に伴い明治44(1911)年に移転廃止となったらしく、その代わりとして現在の中央区清川付近に「新柳町遊郭」が開かれ、戦後の売防法施行まで続いている。一方で博多港の大浜には戦後に120軒、娼妓450名を数える大規模な赤線地帯ができていた。

この大浜と呼ばれている一帯は福岡大空襲で丸焼けになり遊郭があった当時の面影は遊女の投げ込み寺だった選擇寺くらいで他は全然残っていない。焼け野原の中でも激しい空襲にも耐え、水を求める市民がポンプに「お」と「様」をつけてまで呼び有難がって使っていたという「おポンプ様」が歴史の証人のごとく戦後の区画整理で出来た大博通り沿いに鎮座している。

福岡市 博多港

戦後はドヤ街があったという博多港周辺、男臭い街だった訳でそんな場所に赤線地帯ができるのも歴史の必然だったのかも知れない。旧柳町遊郭があった所とは別に、大博通りを挟んで西側一帯に現在でも赤線時代のカフェー建築がいくらか残っているという。最寄りの地下鉄呉服町駅から博多港に向けて歩いて行くと奈良屋町とか神屋町という地名がある。この辺は戦後からの建物ばかりと思えるが、ちょいちょい下町臭い路地が残っている。

福岡市 博多港

すっかり区画整理で大方は道幅も広がり、コンクリート家屋ばかりのやや退屈な風景を眺めながら神屋町に入ると唐突にカフェー建築が視界に飛び込んでくる。あの茶色い壁の2階建ては個人宅にしてはでかいし、周囲の近代的なマンションが立ち並ぶ光景とは対照的で異質な存在感を放つ。まあでも普通の民家になっているようだが、大浜の赤線跡の中では有名な建物の一つだ。

福岡市 博多港

特に一階部分の窓ガラスの配置が独特なのと色違いの豆タイルが足元や頭上の至る所に使われているあたりは見るからにカフェー建築のそれだと判断できる。

福岡市 博多港

一見すると何のためにあるのかわからない建物角の青い豆タイルの部分。何を意味していたんでしょうね。風水とか縁担ぎ的な意味でもあったんだろうか。

福岡市 博多港

さらにもう一軒、こちらも普通の民家として使われているものの、1階部分の丸い窓枠や豆タイルで縁取られた外壁が存在感全開。これはさすがに素通りできません。じっくり眺めさせて頂きました。

福岡市 博多港

今は亡き東京江東区の洲崎パラダイスにあったカフェー建築に雰囲気的には近い感じがする。この建物も両隣が既にマンションに建て替わっている。洲崎のようにここもいつ無くなるか分かりません、マジで。

福岡市 博多港

他にはこのように一階部分が印刷工場に作り替えられた建物もあった。ギリシャ神殿か何かをモチーフにしたような看板建築が印象的だが、派手にクラックが走っていて、今後何かの拍子で崩れるかも知れない。

福岡市 博多港

ぱっと見では分かりづらい家屋でも、地味にカフェー建築の仲間だったりする。この家屋のように、二階部分の窓枠の縁だけがタイル貼りになっているなど細かな点を注意深く観察しなければ気づかないものも多い。

福岡市 博多港

赤線跡はマンションも多いんだけど空き地も妙に多い一画で、北側の那の津通り沿いにはどでかいパチンコビルまで出来ててなんだかアレな風情が強くなって参りました。そういえば博多小学校というのが近くにあったが、元々あった4つの小学校(冷泉・御供所・奈良屋・大浜)が合併して新設されたものらしい。中心部のドーナツ化現象が起きているらしく、どうにも寂れた感が強い。赤線が現役だった頃は、ここが中洲にも劣らない一大歓楽地帯だったとは、にわかには想像しがたい。

福岡市 博多港

中洲や天神あたりの喧騒とはまるで無縁でまともに食う店すら恵まれない、大浜の赤線跡をふらふら歩いていたら、下呉服町あたりにどこかネットで見た事のあるような怪しい佇まいの店を見つけた。店の看板や暖簾すら掲げずに商売しているという、あの店。数々の「掟」に従わないと即刻退店を命じられるという恐怖の伝説が語り継がれ、「高菜、食べてしまったんですか!?」のコピペが有名で独り歩きしている、あの店。

「エアコンの室外機の上に青いバケツが置いてある時は、店が開いているという合図だ」

…その言葉が頭によぎり、ここが有名な博多ラーメン屋「元気一杯」の店舗である事に気がついた。あら、こんな所にあったんだ。結局腹が減ってたので店に入り、巷で言われている「掟」通りに、決してラーメンが来る前にテーブルの上の高菜には手を出さず、先にスープを飲んで携帯をポケットから取り出さず黙って食べて帰りました。

お勘定を払った時に見た店主夫婦は、丁寧な印象を受けた。豚骨スープにも、同じような印象を持った。ラーメンを啜る音しか聞こえない、静寂に包まれた不思議な店だった。写メも取れない雰囲気(そもそも店内撮影禁止)なので、写真はありません。以上。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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