北海道には売防法施行後の現代日本においても戦後の赤線地帯を彷彿とさせるスナック街が何箇所か残っている。それは移民の地である北海道ならではの貧しさがもたらした結果であろうか、盛り場の外れに取り残されたような札幌のカネマツ会館や函館のセキセンなどを見てもその侘しい佇まいには北海道という土地の深淵に潜む闇が見えない気がしなくもない。
そんな場所が道央の旭川市にも存在している。それは「稲荷小路」と呼ばれているスナック街で、旭川の盛り場として有名な「3・6街」から外れた8条通7丁目の一角にぽつんと残っているのだ。…という訳で旭川駅前から国道40号(昭和通)沿いに住所通りの場所に来たのだが…
8条通7丁目が昭和通りからどちらかに入った所にあるという事で歩き回ってみるがのっけから民団の韓国会館と創価学会の仏壇屋が仲良く隣り合っているという香ばしい光景を目にして頭がクラクラしてくるのであった。違うこっちじゃなかった、逆方向だった。
目当ての場所は昭和通りから東側に入った森産婦人科病院の向かいの所。結構大きな病院の前なので昼間に来ると患者さんの車が何台も止まっている。
本当にこんな場所に盛り場なんてあるのかというロケーションだが確かに寂れてはいるものの居酒屋やスナックばかりが入居する古びたスナック街らしきものがあった。これが稲荷小路だ。表にアーチ看板の類もないが、公明党のポスターがやけに多い。
しかし周囲は歯抜けだらけの土地になっていて駐車場に囲まれた状態になっていた。案の定、昔よりは相当寂れてしまい部分的に取り壊されてしまったらしい。だから現物を見ると「どこが小路やねん」とツッコミたくなる。
ろくに舗装もされていない稲荷小路の中に足を踏み入れる。スナック街という風情は微塵もない。もうオワコン状態にしか思えない。
スナックの裏側に回るとこちらは勝手口でしょうかね。2階部分はレースのカーテンが掛けられていてやけに生活感に溢れている。住居兼店舗か、それとも…
当然ながら稲荷小路も戦後の赤線地帯の名残りで今に生き残っている場所なのだが、昔の旭川は陸軍第7師団が置かれた軍都でもあり、ここから北側の市立旭川病院の東側一帯には軍人相手に開かれた「中島遊郭」もあった程の街だった。
歯抜け横丁の中程に稲荷小路の名前の由来である稲荷神社が鎮座している。寂れてどうしようもない佇まいだがこの神社だけは大事にされていて綺麗に朱塗りされた鳥居が眩しいくらいだ。
ところで一体どの店がその手のスナックなんでしょう…迂闊にも夜の様子を偵察し忘れてしまったのでこれ以上は何とも言えない訳だが…
さらに奥に入っていくとどう見ても廃墟だろと思うようなスナック長屋が。
そこには廃業した居酒屋の残骸が…「居酒屋のんべー」の看板も経年劣化か雪のせいか知らんがぐにゃっと曲がっております。
スナック長屋の角の一軒だけは人が辛うじてお住まいになられてました。盛り場の外れにあるし年々寂れてきているようだしそのうち消えて無くなるかも…と思える場所だった。