新発田市の謎の名物料理・シンガポール食堂の「オッチャホイ」って一体何なんだ?!

新潟県

新潟県北部・下越地方の中心都市、新発田市にやってきました。古くは城下町で、戦前には大倉製糸新発田工場があり繊維業の街としても栄えた事がある。現在はモータリゼーションの影響で駅前商店街がグダグダのシャッター街と化している。

新発田市 新発田

新潟県で有数の10万都市な割に何気に地味な印象がして当初は立ち寄る予定もなかったのだが、当日に村上まで向かいそこから南下し月岡温泉で一泊する段取りだったため何となく新発田市街を通り掛かる事となり、ふらふらとこの街を歩く事になったのだ。城下町だったし、古い街並みや遊郭みたいなものも一通りあるだろうと期待して…

駅前ロータリーから伸びるメインストリートが「新発田駅前通り商店街」である。言うまでもなく新発田市の目抜き通りなのだが、ことごとく人通りが途絶えている。真っ昼間だというのにこの寂れっぷり…例に漏れず郊外都市ならではのモータリゼーションの弊害が現れている。

新発田市 新発田

当初の目標探索ポイントだった三宜町遊郭跡というのはこの商店街沿いに駅から1キロくらい歩いた所にある御幸町一丁目あたりがそうだと聞いた。ここはここで行ったのだが、むしろあまり記憶に残っていない程、心に引っかかったものもなかった。新発田に来てそれよりも記憶に残ったのがこの寂れすぎた街並みと、とある大衆食堂の存在だった。

新発田市 新発田

駅前から延々と続く商店街は、かつての街の繁栄をそのまま今に伝えている。しかし立派な店舗の多くが閉鎖し、廃墟のまま打ち捨てられているところが非常に多い。気の毒にすら感じる状況だ。どうなってしまったのだ新発田の街は…

何の気なしに通りがかった建物。最初は単なる雑居ビルかと思っていたのだが、入居してる店の看板も割れたり外れかかったりして準廃墟状態が極まっている。カラオケとか日焼けサロンとかキャバクラみたいな微妙なテナントばっかりなんですが…

新発田市 新発田

だがよくよく見れば雑居ビルにしては妙に広い間口の玄関、宇宙空間が描かれたシャッターの高さは2階部分にまで伸びている。単なる商業ビルではないと思って見てみると…

傍らに「ハヤカワ」と書かれた青銅製のプレートがガッチリビルの壁に埋め込まれているではないか。どうやらここ、地元新発田発祥「ハヤカワデパート」の成れの果てらしいのだ。いつ頃閉店して無くなったのか詳しくはよくわからないのだが、系列のスーパーはその後イオンの傘下になったとネット上には書かれていた。

新発田市 新発田

道路の向かい側に渡り旧ハヤカワデパートの全景を眺める。建物は劣化が激しく、バルコニーが一部破損しているのが見受けられる。ここがかつての街の中心だったには違いない。ハヤカワの他にはダイエーとジャスコの店舗があったがいずれも無くなったとの事。今の街の中心は…やはり新発田の街にも進出してきたイオンの大型店舗なのだろうか。

そんな哀愁漂いまくりの新発田の旧市街地で本格的に腹が減って昼飯を食う所を探し回ったのだがまともに見つからず、コンビニの一軒すらないオワコン状態の商店街で困ったどうしようと悩んでいた所に通りがかったのがここ。

「シンガポール食堂」

なぜこの日本海側の北国新潟で、ここ新発田で唐突に赤道直下の都市国家「シンガポール」の地名が出てくるのだろう。我が視線はその店の前で釘付けになった。

さらに間髪入れずに視界に飛び込んできたのが店の前に置かれた看板に書かれた言葉である。

「シンガポール名物オッチャホイ」

オッチャホイ?なにそれ?!おっちゃんホイホイ?いや違う。だから、何だっての。

さらに我々に追い打ちを掛けるように筆書きで縦に書かれた張り紙には「オッチヤホイお持ち帰り出来ます」とまで。「ヤ」だけでかいぞ。こんな字が書ける世代は70代以上だというのは勝手な推測だが、そもそもシンガポール料理にオッチャホイの名前はないものかネット上のどこを探してもその言葉は出てこない。そう、この「シンガポール食堂」以外に。

そこまで考えが頭を巡った時点で矢も盾もたまらず「シンガポール食堂」の玄関扉の「オス」と書かれた把手を押して店内になだれこんだ。予想通り旧時代的な趣きの店内である。内装はしっかり整っているがやはり40年くらい前のセンスだ。この食堂もきっと昔から地元民に愛されてきたんだろう。あの準廃墟状態のハヤカワデパートが元気だった頃から。そして予想通り、初老のくたびれた感じのおばちゃんが応対してくれた。期待通りだ。シンガポール感は皆無である。リー・クアンユー氏が文句をつけそうな程、完全なる日本風だ。

シンガポール食堂のメニュー表はいたって簡素である。まず最初の項目が「元祖オッチャホイ」になっている。その次にラーメン、中華飯、餃子とライスと飲み物。それだけ。皿オッチャホイと汁オッチャホイの2種類がそれぞれ650円。それに「えび」「しいたけ」「にく」のトッピングが付くと200円増しといった具合だ。この時点でオッチャホイという食い物は長崎のちゃんぽんに近いものだと勝手に想像していたが、これも結果的には違った。結局何の料理か分からないまま「オッチャホイ1つ!」とオーダー。

すると出てきたのは「きしめん野菜炒め」と形容するような麺料理だった。たくあんや浅漬、中華スープつきである。これが新潟県新発田市でしか食べる事のできない「オッチャホイ」なのか…あとはがむしゃらに食っただけで味はどうだったかあまり覚えていない。シンガポールの屋台料理も多分こんな感じなのだろうと思う事にした。

この唯一無二の料理「オッチャホイ」の謎は、以外な程にもあっさりとメニュー表の裏面にある新潟日報の記事のスクラップに書かれていた。ピリ辛で割とさっぱり。シンガポール食堂の初代主人が戦前シンガポールの日本人向けホテルを経営していたという。シンガポールは戦時中の一時期、日本軍に占領され3年間統治されていた事がある。しかし敗戦の時に家族ともどもシンガポールを追われて日本へ帰国。昭和21(1946)年に初代主人の妻の地元である新発田の街にこの食堂を開いたとある。

この初代主人にとってオッチャホイは大好物でシンガポール時代の思い出の料理だったというが、それは「干炒河」(ゴンチャウホウ)という広東料理を何かの聞き間違えで「オッチャホイ」と読んでいたのではないかという説がある。どうしてもシンガポールに未練を断ち切れなかった店主が自らの思い出を辿って再現したオッチャホイは昭和40年代にシンガポール食堂の新メニューに加えられたという。いずれにしてもこのシンガポール食堂にしか存在しない料理であるには違いない。新発田に寄った際は是非食べてみてください。

シンガポール食堂

昼総合点★★★☆☆ 3.6

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