建物倒壊してんぞ!JR四日市駅前オンボロバラック市場「三和商店街」 

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三重県四日市市のJR四日市駅前にある戦後のドサクサ風味な市場「三和商店街」を見にやってきた我々取材班。駅前のハローワークの斜向かいにその建物はあった。すっかり寂れきった駅前風景に佇む三和商店街に足を踏み入れる。すっかり錆びついた看板建築の下から仄暗い商店街の通路に入ろうとすると正面には「明るい商店街」と書かれた看板が。どこが明るい商店街やねんとツッコミたくなる光景。

市場の中に入ると二階建ての店舗兼住居棟がいくつも並んだ格好になっていてその間を屋根付きの通路が走っている。まあよくあるタイプのものだ。屋根の小屋組みを下から見ると恐竜の骨のように見える。

確かに当初は「三和商店街」の名の通り食料品店が立ち並ぶ市場だったようで、その名残りとして古びた鶏肉屋の看板などが残されている。

しかし現在の様子を見ても居酒屋スナックの看板ばかりが目立っていて、完全に飲み屋横丁と化している。東京立石の呑んべ横丁に近い立ち位置かも知れないが、既に建物の壁など崩落があちこちに見られる。

ポルトガル語、韓国語、中国語で書かれた「警戒中」を意味する張り紙も外国人が多い四日市ならではのものか。中韓はともかく三重県も非常にブラジル人が多いです。主に工場での出稼ぎ労働者が中心。

そして意外にもこの戦後のドサクサバラックマーケットには人が住んでいる箇所があちこちにある。洗濯機や植木鉢なんぞが並び所帯染みた一画もあってかなりカオスな住環境だ。

市場の入口通路となっている上もまた居住空間のようだ。壁にはいつのものか知らんが食堂の看板が直書きされているのが見られる。掠れて読めない箇所があるが「ライスカレー50円 マツバ食堂」だろうか。

ここから中に入るとそこもやはりスナック街の様相を呈している。驚くべきはその著しい老朽具合にも拘わらず木材などでつっかえ棒を咬ませて天井の崩落を防いでいる箇所がある事だ。でかい地震があれば一発でアウトだろこれ。よくこんな状態で中に住もうと思うよな。

曰く有りげに周囲の壁が一面真っ赤に塗りつぶされたスナック店舗。まるで戦後の赤線地帯が平成の世に残っているかのような佇まいである。玄関先には「人の家の前に物を置くな」と抗議の張り紙。人の家か…

昼間でも光が届かない市場の通路を歩くと「住人」とすれ違った。人の玄関先に勝手に入っているみたいでなんだか気まずい。

この三和商店街の本気は市場の奥に入ると目にする事が出来る。通路に建て増ししたのか知らんが2階と3階部分が出来てガラクタ置き場になっている箇所があったり…

天井や壁、建物の一部がぶっ壊れてお天道様が見えてしまっている所まであるというオンボロっぷり…建築基準法って何?レベルである。これは凄まじい。

それでも容赦なく連なる居酒屋の数々。あんまり現役じゃなさそうなんですがこれでも人が住んでいるんですよ。信じられません。

壊れた部分はブルーシートで覆い隠しているようだがそれ以上何の処置も施さないようだ。もしかすると修繕する金もなかったりして。

そして極めつけにはこれ。部分的に建物が倒壊して瓦礫が通路にまで溢れ出しております。これは危険過ぎるだろ。

どう見ても被災物件にしか見えない「ちろりん村」も玄関口をベニヤ板で塞いでしまっていた。頭上注意の張り紙がなんだか物悲しい。

我々にはここが東海地方なのか倒壊痴呆なのか分からなくなってきました。家屋倒壊で構造物が丸見えになってます。三和商店街の中の人達、ここまで酷いのに治す気なしか。

あと建物外側から見るとまたもう一つ倒壊箇所が見える訳ですがこちらは居住空間だった部屋の中身が丸見えになっている。困った事に家人のご先祖様のものだろうか仏壇が置いてある。家の主は先祖を残してどこに行ってしまったのか…

壮絶極まりないJR四日市駅前「三和商店街」…終戦直後に出来た市場だが昭和31(1956)年に近鉄旧諏訪駅付近の線路の付け替えで元々はJR駅と並んであった旧近鉄四日市駅が廃止され街の中心が新駅周辺に移るやみるみる廃れてしまい今に至るのだそうだ。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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