え…日本にもミイラが…山形名物「即身仏」とおくりびとロケ地を観るため酒田に行ってきた 

山形県

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日吉町の盛り場から日和山公園方面に向かう。その途中でどうもデジャヴのような感覚を覚えたのだが、ここに来てようやく映画「おくりびと」のシーンを思い出した。広末涼子の演技がとにかく大根だという以外にあまり印象が無かったのだが、この映画で本木雅弘演じる失業したチェロ奏者の小林大悟が務める納棺師の会社の建物というのが…ここだった。

おくりびとロケ地で一番有名な「NKエージェントビル」の建物もやはり元料亭だ。明治時代からの歴史がある「旧割烹小幡」として1998年まで営業していたもので、別館として昭和初期に建てられた3階建ての和洋折衷建築がロケ地に使われた。海が望める高台の上にあることから「瞰海楼」の別名がある。

玄関部分は映画のロケ用にセットが組まれたままの状態になっていて「NKエージェント」の看板もそのまま。映画を見て聖地巡礼に来る観光客が多く、市の観光施設に活用されている。本館の玄関口に回って内部見学もできるのだ。

本館側は歴史を感じさせる和風建築。「割烹小幡」時代の看板もそのまんま残されていた。なんと創業は明治9(1876)年らしい。

ご丁寧にこんな看板までこしらえられて「聖地巡礼観光」のスタンバイは万全である。入場料100円を支払い中へ入りましょう。

一度本館の階段を上がって2階に登ってから別館に移り、さらに階段を降りて別館1階に。元々ダンスホールに使われていた部分が「おくりびと」のロケセットがそのまま残された状態になっている。あの映画を見た事があれば「あー」と言葉が漏れる瞬間である。

酒田市 酒田港

昭和元(1926)年築という事でこの時期の趣味らしい和洋折衷ぶりが建物内部のあちこちに見られる。飛田新地の鯛よし百番とかもこの年代の少し前ですわな。大正レトロモダンの空気が濃密です。昭和元年築だけど。

NKエージェントのお仕事道具です。棺桶がずらりと並んでます。他にも「鶴の湯のお母さんの納棺シーン」や「社長の部屋でふぐの白子を焼いて食べるシーン」といったものに色々使われているが、映画に興味がない人には辛そうなのでそろそろ次行きます。そういえば、これてっきり山形の話になってるけどこの映画の元となった「納棺夫日記」(この作者自身は原作とは認めていない)の舞台は実は富山県だったりする。

前振りが長くなりすぎたが酒田にやってきた一番の目的が「即身仏を拝観する」事だった。酒田で2体の即身仏が祀られている寺として有名な「海向寺」は、何のことはない、NKエージェントビルのすぐ向かいに入り口があった。もはや場所を探すまでもなかった。

海向寺に祀られているのは、忠海上人(1755年入定)、円明海上人(1822年入定)の2体。五穀断ち、十穀断ち、千日修行といった究極の修行の末、生きたままミイラとなったものだ。即身仏になるのもそうそう簡単ではない。エジプトのように死後内臓を取り除くような事もしないので、死ぬまでに最たる腐敗要因となる脂肪分を極限まで減らさなければならず、土中の湿度に負けて脂肪分が腐敗してしまうと「失敗」となるそうだ。

また寺の第八代住職「鉄門海上人」も即身仏になったと言い伝えられている。 中の写真は撮れなかったのでここまで。

酒田市 酒田港

NKエージェントビルこと旧割烹小幡だけでなく、日和山公園の前にはこんな建物も残っていた。これも元料亭か何かだろうか、和洋折衷建築ぶりが特徴的である。今は空き家か倉庫に使われているようだが、こういう建物の多さもかつての酒田の隆盛を忍ばせる物証になっているのだ。

「おくりびと」も「即身仏」も、いずれも「死」がテーマになっているものが向かい合っている姿は、どうにも意味深でならない。この酒田において北前船寄港地としての栄華も、過ぎ去った昔の話、このレトロモダンビルのように放置される宿命にあり、これも街の歴史の「死」を示した一つの風景か。

酒田市 酒田港

…という訳で僅かな滞在だったが楽しめた酒田の街。今度来る時は泊まりがけで、酒田港から出ているフェリーで山形県唯一の遠隔離島「飛島」にも行ってみたい気がする。いつの話になるやら…



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