加賀百万石バブル遺産の残骸…加賀温泉駅前・旧「ユートピア加賀の郷」が凄くて酷い 

<7ページ目を読む

豊星寺参拝の大詰めにこの大観音像の胎内の頂上まで上り詰める事にする。3階から続く螺旋階段を登っていくと頂上の高さは56メートル。エレベーターもエスカレーターもないので自力で登れ。

だが下から螺旋階段を見上げた瞬間、ちょっと気が遠くなりそうな感覚に陥る。ここで普段の運動不足が実感出来るはずだ。だが先っちょだけ入って戻るのも今更…ここは最後まで行かないと気が済まないよねー。

で、どんどこどんどこ階段を最初はリズミカルに登っていく訳だが中年の身体には相当こたえる事請け合いなのである。テンションは途中で登山モードに変わる。それにしても一体3000円の観音パネルは切れ間なく螺旋階段の上までびっしり続いている。

一応階段は右側通行になってるらしいですよ。誰ともすれ違わなかったけどな。

頑張って螺旋階段を登り詰めてきた。そろそろ6周目くらいか?で、下を見下ろすととんでもない高さまで来ていた事に今更ながら気付く。56メートルってこんなに高いのか?

ようやく頂上が見えてきた頃、大観音像の肩の部分と思しき壁の丸みが現れる。その内側にも大量の観音パネル。

一人一人個人の名前が書かれてはいるけど、本当に実在する人物なのか疑わしく思ってしまう。だって純粋な信仰心がある人達がこれを書いたのなら、参拝者が途絶えて経営難で潰れるような事にはならないはず。疑り深い取材班は観音パネルの筆跡を凝視する。明らかに同一人物が書いた臭いものが沢山ある。

高さ56メートルの頂上部分には一つの部屋があった。そこには恵比寿、大黒、布袋の七福神のうち三体の黄金像が祀られていただけの殺風景な部屋だった。どう見ても福が来そうな感じには見えない。

この黄金像の周りは何もない。せっかく頂上まで登ったのにこの仕打ちは結構イタいぞ。よく見ると小窓が開け放たれたままになっていて、そこから吹雪が室内に舞い込んでいる。

「ここは地上56mです。尊像外面(正面)喉元の位置。南面し白山々脈が見えます。」との事。

だがこの猛吹雪で景色など拝めるはずもない。それ以前に鉄格子に阻まれているので景色を楽しむ余裕など元からなさそうだが。もうこれ以上収穫はなさそうなので今来た螺旋階段をとぼとぼ戻って行く事になる。あーだるい。

ちなみに大観音の胎内にあった観音パネルと十二支御守本尊の説明が書かれた看板が外廊下に何枚か置かれていた。

多分ユートピア加賀の郷の開業当初からあった看板だろうな。なんとなく昭和末期の香りが残る。

土産物コーナーもあるにはあったが、購買力をそそられるような品物もなく、軽くスルーして帰った。いつまで存続していられるやら全くもって未知数の施設だ。

またこちらのブログの情報によると、現在この豊星寺の宗教法人格が15億円で売りに出されているという。全国各地、節税目的で休眠状態の宗教法人が売買されているという話はよく聞くが、豊星寺もまた暗黒面に落ちてしまっているとしたら哀しい話だ。観音様が泣いておられるぞ。

ユートピア加賀の郷 年表

1987年:関西土地建物社長・嶋中利夫氏が総額280億円をかけユートピア加賀の郷をオープン。主要施設は加賀寺、遊園地、大温泉、観光ホテル、嶋中近代美術館など。
1998年:関西土地建物が倒産
2002年:隣接する遊園地「ユートピアランド」が閉園。廃墟愛好家が続々集まる。観音温泉ホテルと大温泉も同時期に閉鎖された模様。加賀寺自体はその後も細々と営業
2006年頃:ユートピアランドの解体が終わる。跡地は産廃業者が買ったらしい
2008年:ユートピア加賀の郷が再オープンしたらしい(→詳細
2009年3月:織田無道が買収話を持ちかける。本人が宗教法人の責任役員に就く
2009年9月:「豊星寺」「豊星の湯」改装オープン
2009年12月:織田無道の給与不払いで従業員が労基署に相談
2010年2月:織田無道の行方不明が報じられる
2011年2月:豊星寺の公式twitter垢で謎のつぶやき
現在:所有者が代わり「観音院加賀寺」と名称を改める


The following two tabs change content below.
新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.