東西に長い山口県、下関から岩国まで相当の距離があって中だるみしそうな程なのだが、何気に見逃せない街がちょいちょいある。今回やってきたのは山口県の中部を代表する街らしい「徳山」である。元々は徳山市だったが平成の大合併で「周南市」という市名に変わっている。徳山は戦前の徳山海軍燃料廠の時代から瀬戸内コンビナート地帯を形成する工業都市である。
まずはJR徳山駅前へ。新幹線も止まる立派なターミナル駅ですよ。アサヒビールのでかい広告看板が目印で、ちょっと古臭さを感じる駅舎。実はこの徳山の街、やたらめったら東京の地名で溢れ返っている。その勢いが尋常ではないので、ちょっくら観察する事にしよう。
徳山駅前には山口県でも屈指の繁華街が広がっているが住所を見ると「銀座」の地名が。まあ別に銀座という地名は普遍的に全国の商店街に使われている訳でこれ単体だと珍しくも何ともないのだが…
アーケード商店街の反対側、つまり駅前ロータリーの西側を見るとこっちは「周南市有楽町」。銀座と有楽町が向かい合っているという格好になる訳だ。でも銀座と有楽町程度のあやかり地名ならどこにでもある。香港にだってあるし。
駅裏の新幹線口に回るとそこには「千代田町1番」の住所表記まで見られる。千代田区千代田1番地なら皇居になっていたが、見る限りただの駅裏でしかないし、皇居ランナーも見当たりません。
駅裏に来たついでに徳山港方面に歩いて行くと、工業都市らしい鄙びた街並みが現れる。街並みは全然東京らしくない。そこには皇居も東京タワーもない。
しかし目の前の交差点に掛かる案内標識を見ると「晴海埠頭」の文字が。ここはさしずめ勝どき辺りに居る事になるのか。あまりに東京ナイズされまくっている徳山の街。一体どうなっているのだ。
駅前南側の平和通を跨いだ向こうには「糀町」の地名がある。これは東京の麹町にあやかったのではなく元からあった地名らしい。
糀町界隈はスナック街やラブホテルが立ち並びちょっと胡散臭い感じの街となっている。遠目にはコンビナート地帯の大きな煙突が見える。
そそられる佇まいのオンボロ飲み屋小路も残っていて、つい足を踏み入れてしまいそうになる。東京の麹町にはこんな猥雑な路地裏風景、ありませんよね。
しかも奥にあるスナックの名前が「日暮里」て(笑)麹町と日暮里ではかなりギャップが激しい訳であるが、確かにこの戦後のドサクサ横丁的な場所、日暮里の方がイメージが近いわな。
飲み屋小路の一番奥にあるのは韓国料理店らしく「参鶏湯」の看板がございます。やっぱりここは日暮里でいいと思う。
さらに徳山駅前を離れて北西方向へ進むと公園の敷地がある。見た所別にどうってことのない公園でしかないが…
公園の入口には堂々と「代々木公園」などと書かれているのである。ここも東京地名だった。NHKとか野音とか、あとホームレス居住区とかもありませんけどね。
徳山の代々木公園には地下駐車場も完備されております。意外にも本家渋谷の代々木公園には地下駐車場はない。こっちの代々木公園の方が先進的でしたね。あと目の前の通りも「代々木通り」らしい。徹底してるな…
そこから新南陽方面に1キロ程離れた所まで行くとこのへんにも東京地名が見られる。だいぶ街から外れた所に「新宿」があるのだが、その割に妙にこざっぱりしているし山が近い。全然副都心的でもないし。
歩道橋にもバッチリ「周南市新宿」の文字が。このまま道なりに行くと青梅街道があって中野坂上とか荻窪とかが…ありませんから。
徳山の「新宿三丁目」交差点。角には新宿伊勢丹は建っていませんでした。あとの東京地名には「原宿町」「青山町」、さらに西千代田町の富田川沿いには字「田園調布」の地名が見られる箇所があった。
徳山の街は海軍燃料廠があった事で戦時中に空襲の対象とされ市街地の9割が焼失、街が灰燼と化してしまっている。戦後の都市計画で新たな地名が付けられる事になったのだが、日本の首都東京の地名にあやかる事で復興の願いが託された、という流れでこうなってしまったらしい。切実な理由からだったんですね…
なお、旧徳山市では昭和29(1954)年にこれらの東京地名は正式な地名として採用されている。これだけ東京地名が街に馴染んでいる街なんて、徳山を置いて他に知らない。