下関の遊郭跡「下関新地」の路地裏がレトロ過ぎて悶絶する件 

本州と九州を隔てる関門海峡に位置する山口県下関市、ここまで来ると中国地方というより九州の属国みたいな感じがしないでもないが、県下最大の都市として海峡と向かい合う福岡県北九州市と連続した都市圏を形成している。この下関には「遊郭発祥の地」と言われる稲荷町(現在の赤間町付近)があったりソッチ方面の歴史も濃厚な土地柄。

赤間町の方はというと末廣稲荷神社くらいしか名残がなく大して見るものもないので他に2ヶ所ある下関の遊郭のうち、現在も艶めかしい街並みを残す「下関新地」を見に行く事にした。その場所は下関駅から北へ500メートル程の下関市新地西町。「新地」という地名がそのまんま使われている。

下関駅前を起点とする国道191号沿いから下関新地の名残りである妓楼群を眺める事が出来る。現在では民家などに変わっているものの比較的綺麗に残っていた。

お宅の正面玄関と勝手口という感じで使われているかつての妓楼の二つ並んだ玄関。左側の玄関がわざと斜めを向いているあたり実に分かりやすい造りをしている。典型的なカフエー建築の特徴。

国道沿いの妓楼群のうち最も下関駅寄りの所に一際目立つ建物がある。旅館つる八の屋号が記されている通り、転業旅館の一つか。

内湯、客室テレビ付、などと書かれた案内看板が古めかしい。ご宿泊料の下の行がテープで隠されている。今でも商売しているのでしょうかね。

玄関口は家人の趣味か知らんが大量の植木鉢で一面覆われていて足の踏み場に困る程である。やっぱり営業してないのだろうか。

ひとまず表側から見た下関新地はこんなものだが、今度は「つる八」の脇から伸びる路地に足を踏み入れてみる事にする。この先には開発の手も入らず遊郭時代から恐らく殆どそのままであろうと思われるかなり濃密な街並みが広がっている。

今では住宅街にちょいちょい小料理屋などが紛れている程度で繁華街といった面影はどこにもない。しかしかなりやれた風情が漂う。

旅館つる八の向かいにもこんなご立派な元妓楼がそびえているのであった。旅館とかではなく普通の家ですが2階部分の手摺や窓枠はそのまんま。

他にも当時の妓楼がなんだかんだ改修されながら住民の生活空間として生きていたのである。下町風情丸出しで非常に良い。

足回りや飾り窓が艶かしいとある元妓楼。結構この辺の住民はプランターに花を植えて飾るのが好きならしい。たいていどの家の前にも花壇がある。かつての花街は文字通りの花だらけの街へと変貌していた。

そして民家ばかりでなくこのような「甘党の店」の残骸も見られるというのが下関新地。昔はさぞかし遊女や住民相手に甘味を提供していたのだろうなと想像する。いつ頃廃業したか定かではないが古い店には違いない。

ところで、この土地にゆかりのある有名な人物と言えば戦前期の女性童謡詩人である金子みすゞ。昔の人物なので何それ?となりそうだが「みんなちがって、みんないい」「こだまでしょうか」の人だと説明すれば話が早かろう。

僅か26歳の若さで自害した彼女が生前住んでいたのがこの近くの上新地町である。下関新地に入り浸り放蕩三昧だった前夫に淋病を移された事などから離婚し、一人娘の親権を要求するも相手方に態度を翻され娘を引き取る事が出来なかった。娘を取られた怒り悲しみと病苦が死を選んだきっかけであった。遊郭のあった時代の切ない女の人生ですな。

そんな金子みすゞが生きていた頃の街並みとさほど変わらないかも知れない現在の下関新地。周囲は近代的な高層マンションが建っている中でこの地区だけ不思議にも開発を免れて取り残されたような一角になっている。

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。

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