小樽駅の北側、梁川通り商店街の先に進んでいくと東西にずらりと細長く何棟もの共同住宅を備えた市場の建物が現れる。小樽中央卸市場だ。
三角市場などと同じく古くから小樽市民の台所になっている場所だが、あいにく訪れた日が休業日である日曜だったせいで市場の入口は閉まっている。建物は船見坂下から海に向けてまっすぐ4棟並んでいて目立ちやすい。
無念にもシャッターが降ろされてしまい中の様子が見られなかったのだが、観光地化で生き残りを図る三角市場とは違って完全に地元民向けの市場で、建物の老朽化に加え街の高齢化、過疎化の煽りを受けて、次々空き店舗が増える中で昔ながらの商店が辛うじて残っている状況だそうだ。
仕方がないのでせめて外観だけでも堪能していく事にする。市場は上が「稲穂船見通共同住宅」になっている。いわゆる「下駄履き住宅」の体を成していて、3階ないし4階建てのビルの2階から上が住宅部分。
戦後間近、周囲にあった引揚者が経営していたバラック市場などをかき集めて昭和32(1957)年までに4棟が順次建設された。この手の建物を見るといやがうえに戦後のドサクサ臭を感じるのだが、やはり例に漏れないようだ。
住宅部分の出入口は市場の外側にポツンとあった。住宅供給公社の制度を使って建てられたというので当然公営住宅という扱いにはなるのだろうが、償還を終えた一部の棟は市場の協同組合に所有権が移されている。
小樽は有史以来度重なる大火に見舞われた街で、明治時代に人口が急増した頃にはこの一帯(稲穂町)でも二千棟を焼失する火災(小樽大火・1904年)が襲っている。
防災上の理由で戦後早い時期にこれだけ立派なコンクリート建築が作られるきっかけになった訳だ。市内各所の立派な蔵造りや近代建築、さらに観光名所の小樽運河にあるレンガ倉庫も防災上の観点から作られている。
市場の外側に並ぶ店舗群。家賃の安さから若い経営者が新しく入居して店を開業するケースもあるそうだが空き店舗も非常に目立つ。市場自体も相当寂れ気味になっているし建物も老朽化も激しいのでいつまで続く事やら。
その向かいにある一軒家がやけにいかつい外観で思わず立ち止まってしまった。中央市場以上に古い木造三階建て。建物の両サイドは空き地になってしまい横っ面もよく見える。
鱗のような外壁材がびっしり貼りつけられていて個性的過ぎるお宅である。こんな造りになっているのもやはり防災上の理由か。
隣の空き地から建物の横っ面を見るとこの通り。かなりでかい家である。この様子を見ると昔は何か商売でもしていたのかも知れないと想像する。
今となっては市場らしい賑わいの欠片もない界隈だが、そこに程近い場所に一軒だけぽつりと残る店がある。とは言ってもシャッター閉まったままですが。「21世紀」とだけ書かれた看板が気になるが店の作りはどう見ても20世紀である。
そこが何の店なのか、この看板を見て一発で分かった。小樽らしいノスタルジックな趣きの店でした。
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