はるか、ノスタルジィの街「小樽」を歩き回ってきました

北海道

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小樽駅前から運河方面に真っ直ぐ伸びている中央通を少し歩くと道路右手に都通り商店街の入口が現れる。

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都通り周辺は言うまでもない小樽の中心市街地。札幌の狸小路と同様に立派なアーケード商店街が都通り、サンモール一番街と経て、歓楽街である花園方面にまで延々と連なっている。しかし近年では過疎地域指定される程の街の中心地だけに、商店街の中はどうなっているのか…

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いかにもな観光客が中央通とは打って変わって地元民向けの商店ばかりとなる都通りを歩く。小奇麗ながらもさっぱりし過ぎて人通りもない。日が暮れてから賑やかなのはせいぜいパチンコ屋くらいである。

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駅前の中央通と「北のウォール街」こと日銀通りを結ぶ全長300メートル足らずのアーケード街に並ぶのは古い個人商店ばかりで、いわゆるチェーン店らしきものは見当たらない。

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夜も8時を過ぎると見ての通り全く店も人通りも無くなってしまう。この時間帯は商店街よりも寿司屋通りから向こう側にある花園の飲み屋街の方が賑やかで雰囲気がいい。

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都通り商店街のアーケードには「おもしろ小樽弁と榎本武揚」の垂れ幕が複数掛かっていて方言があれこれと書かれている。「あずましい」って青森あたりでも使う言葉だよな。

榎本武揚は小樽に縁の深い幕末の志士で市民なら誰でも知っている的な人物。高知の坂本龍馬、鹿児島の西郷隆盛みたいな存在。

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店構えがやたらレトロ臭プンプンな「西川のぱんじゅう」もことごとく閉まっている。アーケード商店街をぶらぶら歩いていてもシャッターが閉まった店を恨めしく眺めるしかない訳で、それならと脇道に逸れてみる事にする。

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アーケード商店街の中からでは店の建物がよく見えないので、アーケードを出て建物の横っ面が拝めて初めて建物のレトロモダン具合に気がついたりする。

1階にオサレな輸入雑貨店が入居する建物は昭和6(1931)年に「丸ヨ白方酒店」として建てられたもの。酒屋がこんな建物作っちゃうなんて粋なもんですなあ。

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都通りの一本西側は飲食店と空き地がちらほら入り混じった裏通り。駅前の長崎屋の建物だけがやけに目立つ。

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さして見るものもなかろうかと思ったらこんな場所に随分立派でモダンな家屋が残っていた。見た目からは想像が付かなかったがこれは元「キャバレー現代」だった建物。

祝津の鰊御殿で有名な白鳥家の別邸だったもので明治末期に建てられ戦後にキャバレーとして使われていたが平成13(2001)年に惜しまれつつ閉店。建物は取り壊される事もなく現存している。

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あちらこちらにレトロモダンな建物が残るゆえにかつての繁栄ぶりを想像させられるが他は概ね場末的な酒場が点在しているのみ。日が沈んだ暗い街に酒場の灯りが見えると途端に食欲に駆られるが、小樽にはまだまだ大歓楽街・花園が残っているのでここは堪える。

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既に商売を辞めてしまった飲食店も多い。どこを見てもかなり年季の入った建物が目立つ。廃墟になっても建て替えられもせずそのままといった所だろうか。札幌の狸小路あたりは潰れた店の跡がまるっきり真新しく建て替わってパチンコ屋ばかりになってるが、そのへんもかなり様子が違う。

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観光客向けな寿司屋通りの辺りは全く雰囲気がガラっと変わるが、駅前に近い側の盛り場が寂れているという不思議な状況。この先、小樽の寂れた商店街の風景をこれでもかという程眺める事になる。

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むしろ寂れて古いままの街並みを観光のウリにしているのが小樽で、そんな小樽を舞台に懐古主義的妄想を全面に押し出しロマンティストな中年オヤジを中心にヒットしたのが大林宣彦監督の「はるか、ノスタルジィ」(1993年)だったりする。

近代日本が辿ってきた過去の栄光が生々しく残る街、小樽はすなわちノスタルジーの街なのである。ここではよそから来た観光客も地元民も皆一様に過去の郷愁に耽りながら街を歩くのだ。

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