旧手宮線の線路沿いにはいくつものバラック建築が生々しく残っているのだが特に見た目が凄いのが日銀通の北側に入った辺りの一画。ここは線路沿いにバラック飲食街が形成されている。先程は裏手の線路がある側から建物を眺めていた訳だがかなりボロボロで崩落しているものもあった。廃墟かと思ったらそうでもなく、現在でもバーやスナックなんぞが軒を連ねている。
裏から建物を見てもかなり壮絶だったが表からみてもやっぱり壮絶だ。掘っ立て小屋レベルの粗末な家屋が棟続きになっていてそれぞれ造りも違っててんでんばらばらなのが余計にそそられる。
枯れた蔦が複雑に絡み合った怪しげな酒場「美奈」。看板には北海道の清酒「北の誉」の名が。これぞマジモンの北の酒場である。小さな玄関口があるだけで窓すらないという閉鎖空間はいかほどの異次元であろう。そんな所にまで公明党ポスターがあるんですけど。
建物に絡みつく蔦をマジマジと眺めてみると棘が生えていた。何とも不気味でホラーな酒場である。雰囲気満点。
酒場の建物は見ての通り物凄く天井が低く、大の男なら頭をぶつけそうなくらい低い。2階部分はやはり現役の住居なんですかね。
店先には「十八歳未満の方のご来店堅くお断りいたします 小樽料飲業組合連合会 小樽警察署」と書かれた古いプレートが掲げられていた。時代が時代だったら青線的な役割を持っていた頃があったのかも知れない。
映画「はるか、ノスタルジィ」には主人公が少年時代に娼婦であった母親に会いに行くシーンでこの近くにあった料亭「新松島」(現存せず)が使われていた。寿司屋通りのある妙見川沿いは戦前は花街だったし、市内各地に赤線が存在していた。
隙間なく連なるバラック家屋は経年劣化と地盤沈下の影響か各戸とも微妙な傾きを見せている。特に写真左から2番目にある民家はサッシと傾き具合が顕著で窓枠との角度差が一目で視認出来る。
いかにも戦後のドサクサ的なバラックばかりでなく、もう少しちゃんとした商店跡も見られる。しかしそこも容赦なく廃墟同然の姿を晒している。
建物の土台も傾いているように見えるしすっかり廃墟かと思ったが「貸室有ります」の張り紙が内側から貼りつけられていた。まだ現役だったのかよ。
バラック飲食街は先程見たロシア語看板の文具屋の手前まで切れ間なく続いているが相変わらず共通性の皆無なてんでんばらばらな家並みが素晴らしい。DIYが好きなのか、道民ならではのフロンティア精神なのか。しかしその多くがガレージに転用されている。
一番最後にあったのは焼肉の東京屋。北海道なのになぜか東京である。バラック飲食街にはやっぱり焼肉が似合うよね。
280円ユッケが世の中を騒がす平成日本社会において「一皿300円均一」という異様な安さが気になってしょうがないが、どうも様子が変である。果たして現役なのだろうか?
そして飲食街の中程には既に板で塞がれ出入りが出来なくなってはいるが、かつて使われていたであろう共同便所が入口の上半分だけを覗かせていた。
その中には飲食街に入居している酒場の屋号らしきものが羅列されていた…もしかしたらトイレ当番表か何かだろうか。どれも古風な名前ばかりで横文字の店などありゃあせんわな。北海道ならではの濃密な昭和の盛り場の残骸でした。
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