北海道鉄道発祥の地であり観光スポットの一つにもなっている小樽市の「旧手宮線」の廃線跡に沿って歩くと、殊の外バラック建築や廃屋が目に付くのだ。それは長年積もりに積もった鉄道の歴史と、街の歴史の澱であろうか。
線路沿いからなので当然家の裏側を見る格好になるのだが、どう見ても築半世紀以上経過しているように見えるボロい家がずらりと立ち並ぶ姿はノスタルジーの街・小樽の裏観光遺産。
ほぼ棟続きに連なる家屋の一部は毎年の雪の重みか建築材の劣化か知らんが勝手に崩れて傾いてしまっている。実に生々しい光景だ。
他にも家が自然倒壊したまま放置された物件が何軒もある。地主が亡くなるかして後始末のしようがないのかも知れないがここは仮にも小樽市の中心市街地だ。これが過疎地域指定を受けた自治体の現実だろうか?
建物の上半分を蔦で覆われた2階建ての板葺き長屋。見ても分かるが1階部分が壊れてしまっていてとても人が住めそうにもない。2階の窓が開きっぱなしになっているのは元からなのか、それともまだ人が住んでいるのか。
どの建物も見るからに粗末な造りをしているのが気になる。経緯は定かではないが恐らく戦後の混乱期に作られたものだろうか。よく見ると2階の床や壁がごっそり抜けて部屋の中が丸見えになっているのである。壮絶。
ベニヤ板を張り合わせただけの簡易な壁が剥き出しになったバラック家屋。
さらに棟続きになった家屋の2階部分が植え込みの向こう側から確認出来る。ここもごっそり壁が崩落して部屋の中身が見えてしまっていた。
家の主人を失ったまま、かつて部屋の壁だった場所に佇む古い柱時計は8時5分を刻んだまま止まっていた。よく見ると向こう側の壁も崩れて筒抜け状態だ。
線路跡だけを見ていても決して気付く事のない街の痕跡ってあるもんですね。バラック建築に目をやらなければこんな綺麗な場所なのに。戦後しばらくの頃はまだ旅客列車がこの手宮線を走っていた。車窓の風景はさぞかし素晴らしいものだったろう。
そんな手宮線の線路跡も寿司屋通りの手前から勾配を付けて登り坂になっていく。周囲の風景が土手下に埋もれていく事になる。
そして寿司屋通りの前で高架橋になっていたはずの手宮線はブツ切れになってしまう。スタンド・バイ・ミーごっこもここで終了。古いレンガ積みの高架の土台だけが残っていた。
その向こう側にも手宮線の廃線跡は続いているのだが、ここから少し先の花園の飲み屋街の途中で函館本線の線路と合流する。目の前の寿司屋通りは観光客向けの寿司屋が並ぶイカニモ観光地的な一画だ。
寿司屋通り周辺には「悪質な客引き行為」に注意を喚起する張り紙があちこちにあった。「悪質な」とは誰が決めたか知らんが観光業で食うしかない街で客引き合戦が激化すると悪評も立つのだろう。これも小樽の現実か。
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