基地の街コザ・戦後最古の赤線地帯!八重島特飲街「ニューコザ」跡を見に行った

戦後にアメリカ統治下になった沖縄では米軍が進駐し、特に極東最大の空軍基地である嘉手納飛行場をはじめ軍事拠点が次々作られた関係でコザの街は一気に発展を始める。そこで危惧されたのが米兵による婦女暴行事件などの犯罪。戦後の混乱期の中という事も相まって兵士達の娯楽の場を建設しなければならない事情は急を要していた。

そこでコザの街外れにあった八重島地区に米兵向けの特飲街が建設されたのが1950年。現在「中央パークアベニュー」の先、コリンザなどがある場所から少し離れた何もない原野に開かれた歓楽街は「ニューコザ」と呼ばれ、最盛期には130軒もの特殊飲食店、300人以上もの女性が働く「不夜城」だったそうだ。

言うなればコザの歓楽街の系譜の元となった八重島地区だが、今訪れてもすっかり寂れた住宅街しかなく、往時の面影を残すものも殆ど失われている。沖縄自動車道と並行する県道から八重島の街に入ると、かつての盛り場は市民会館通りの手前までほぼ一本道が続いている。

辛うじて元バー的な雰囲気の建物がポツリポツリ残っているくらい。照屋の黒人街以上に何も残っていない。寂しい限りの街だが、この八重島特飲街自体もそう長続きしなかったらしい。

米兵を街から隔離して作られた八重島特飲街は半ば公娼街のような存在で、徹底した性病検査が実施されるなどしていたが、その後のオフリミッツ発令などでみるみる規制が激しくなるやいなや客が取れなくなり衰退の一途を辿る事となる。

このバラック然とした廃墟も当時のまま残されているのだろうか。なかなか凄い風景だ。

越来村からコザ村へと改称、その後コザ市へ昇格した1956年に衛生基準が厳格なAサイン制度がこうした特殊飲食店にも適用されるようになると、いよいよ八重島特飲街の壊滅が濃厚となり、代わりにBC通り(現在の中央パークアベニュー)などが栄えるようになった。

現在の八重島地区には唯一一軒だけ当時の繁栄を偲ばせる米兵向けクラブの建物が残っている。すっかり錆びついたままのネオン看板が印象強い。

唯一残るクラブ「CLUB Walty」。かれこれ50年以上も前の歓楽街の名残りが見られるのは、コザの街の凄い所だ。しかし「不夜城」の残り香は微塵も感じられない。

でかいネオン看板が掲げられた右下に玄関口があるらしい。ぽつんと目立たないポジションに琉球新報の新聞受け?が置かれている。

現在は恐らく個人宅の一部になっているようだ。廃墟化してはおらず、玄関周りも比較的綺麗なままである。

その向かいには地元の子供が遊びまわる八重島公園が広がっていた。いかつい米兵ばかりが街を席巻するかつての風景はどこへやら。嘉手納飛行場を目の前に「平和な風景」が続いていた。

本題とは無関係だが、八重島の街外れには何やら神社のような建物が…「大國ミロク大神」の文字が見える。琉球八社ではない神社の一つのようだが、調べてみると地元の宗教団体の施設っぽい。沖縄に来て何が珍しいかというとこうした宗教観の微妙な違いが見られる事である。

結局時間がなかったので立ち寄る事もなかったのだが、少し後悔した。

さらに八重島特飲街跡から少し離れて知花方面に行った所にあるファミリーマート松本五丁目店に隣接する土地に一軒だけ特殊なお風呂屋さんの店舗がある。

何の変哲もない場所にぽつんとあるのだから抜け目がないなあ本当に。この業界も例に漏れず郊外型店舗へのシフトが進んでいるという事の表れなのか。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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