東海地方最大級の遊郭跡・名古屋「中村遊郭」の絢爛豪華な妓楼と街並み 

愛知県

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ピアゴ中村店裏手、長寿庵が建つ大門通りの角を挟んだ所にもいかにもな元妓楼が見られる。2階部分の手すりの朱塗りとか細格子とか、モロに遊郭的デザインでございます。一番右側の玄関上に「およし」という屋号が確認出来る。

さらに1階部分を見ると青緑色と白の市松模様のタイルが足回りにびっしり貼られているのが分かる。一部剥落してはいるが非常に艶めかしく情緒豊かである。ここも普通の民家に転用されている。

「およし」の隣にはもう一つ輪を掛けて立派な妓楼がそびえていた。玄関周りを見るとこの店はかなり位の高い妓楼だったように思える。玄関上に右から左へ「松岡商店」と書かれた額が載っている。右側には「健遊館」の看板。これは後述するデイサービスセンターの所有となっている模様。

そして建物の裏側に回りこんで一本北側の路地に入るとこれまた豪勢な遊郭建築が現れる。ここが中村遊郭で重要建築物指定を受けている建物の一つ「旧松岡旅館」。大正元(1912)年築で建てられてから足掛け100年となる。

ここも遊郭閉鎖後に転業して料亭旅館となったとの事だが経営難から廃業して、2001年に中身がそっくり改装されてデイサービスセンター『松岡健遊館』に生まれ変わったという異色の経歴の持ち主。こんな粋な建物で余生を過ごせすのも悪くはないか。

周囲は味気ないマンションに建て変わって行く元遊郭だが、松岡健遊館のすぐ斜向かいにも負けず劣らず豪勢な遊郭建築が残っている。これも重要建築物指定を受けた「料亭稲本」。大正12年の中村遊郭誕生時からの現役。朱塗りの壁が映える。

料亭稲本の玄関。「来る者拒まず去る者追わず」ですかねこれは。

松岡健遊館が所有する旧松岡旅館裏側の建物脇には高いコンクリート壁が残されている。遊郭特有の嘆きの壁というやつですかこれ。ゾクゾクしますねこういうの見ると。

似たような壁が飛田新地にもあったが、旧遊郭の位置関係から見ると廓の内と外を分けている壁という訳ではなく、単に防火目的か、或いは遊郭の中で分けていた壁という事になるのだろうか。

ピアゴ中村店の西側にもこんな和洋折衷気味な妓楼が。左側のコンクリート部分は建て増しされたものだろうか。

所謂カフエー建築の部類か、モダンなデザインのファサード部分には「TSURUNOYA」の屋号が刻まれている。建物自体はガレージか倉庫になっているのか?

玄関には「福春」の屋号。ツルノヤさんではないようです。現役時代に何度かオーナーが変わったのかも知れないね。

現在は普通の民家になっていて、老人がひっそり住んでいるだけのような佇まい。猫と人間の椅子が玄関先に置かれていて、なんとも所帯じみている。

戦前の妓楼ばかりでなく戦後の赤線時代に建てられたカフエー建築も中村遊郭にはちょこちょこ残っている。ピアゴ中村店の正面に並ぶソープ街の一角にもこんな建物が見られる。

白と青のストライプ柄のタイル、両脇に丸窓。アールのついた玄関脇。実にカフエー建築らしい。だが例に漏れず空き家っぽい。いつまで残されているかちょっと心配ではある。

中村遊郭は現役時代からの建物が多いが、廃業して普通の家っぽくなった所や空き家も結構見られる。

持ち主が居なくなって空き地になってコインパーキング化した土地から思わぬ街の裏側が見える事が得てして在る訳で、さっきの松岡健遊館裏にあったものから続いていると思われる謎の壁がこんな所にまで伸びている。

コインパーキングの敷地の奥まで行くと、その先には壁に通路の穴が開いた箇所が…遊郭の裏口でしょうかね。そそられますね。

穴があれば覗きたくなるのが人間の性なのでそれに従ってみます。別に何も無かった。本当にただの裏口だった。遊郭の関係者が出入りしていたのだろうかね。

そして非常に惜しい感じなのがピアゴの店舗玄関真ん前にあるこの建物。旧牛若楼の成れの果てで遊郭閉鎖後は「ビジネス旅館牛わか」として営業を続けていたが廃業、さらに店の一部分は果物屋としても使われていたがそちらも廃業、敢え無く廃墟化同然の状態と化していた。

フェンスが置かれて立入禁止にされてしまい長らく放置されていた旧牛若楼…見るも無残な状態が続いていたが…

愛知県 名古屋市 中村遊郭

幸いにもこちらの建物は解体を免れていた。2012年に内装がリノベーションされて「蕎麦伊とう」にモデルチェンジ、蕎麦屋として第二の人生を歩んでいる。

愛知県 名古屋市 中村遊郭

店内の様子は完全にリフォームされていて、かなりシャレオツな内装となっていた。趣味蕎麦っちゅージャンルの店でしょうか。現役当時のものとはかなり違っているようでやや残念。

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