【沖縄の歌舞伎町】那覇市の夜の盛り場「松山」を歩く(2011年)

熾烈な沖縄戦の末、街中が焼け野原になった戦後の那覇の歓楽街は、最初に米軍の立ち入り禁止区域から除外された壺屋の神里原社交街から始まり、次いで桜坂社交街あたりが開け、波の上や松山などどんどん海側へシフトしていった。今の那覇市内で一番の夜の盛り場が「松山」という地区らしい。

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我々取材班の目線で言うと神里原や桜坂の方が当然ググっと来る訳だが、松山の繁華街はくたびれたボロ長屋ではなく、近代的なビルが立ち並ぶ、若い世代向きの盛り場という事になる。まあ、宗右衛門町とか歌舞伎町みたいなもんだと思えば良いのだが、実際に那覇市松山は「沖縄のリトル歌舞伎町」の異名もある。

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もちろんここも夜の盛り場なので松山の繁華街各所の電柱には客引き・客待ちを処罰するぞという那覇警察署の警告看板もベタベタと貼りつけられている訳である。「国際都市松山」の落書きは何の意味だ。

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国道58号の西側一帯に碁盤の目状に区画整理された繁華街が連なっている。こうした飲み屋だらけのスナックビルが目白押し。那覇のくせにパステル八重洲という名のビル。やはり「客引き禁止」の張り紙が目立つ。

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国道58号松山交差点から入った側だけがやたらギラギラした雰囲気だがそこから少し外れると、それほどな感じでもなくなる。無駄に広い街路に路上駐車がいっぱい。テーゲーの国沖縄だからそのへんに路駐とか平気だし。

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それはいいけどクラブの名前がそのまんま「遊郭」ってカッケーっすね。松山から歩いて行ける場所に「辻」という伝統的な遊郭があった。もちろんそこにも行ってきた訳だが、それはまた後でレポートする。

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それに、場所柄だけのことはあって、何やら怪しげな店もあるっちゃある。もっともこういうジャンルは辻エリアが主役のようだが…

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松山繁華街の中には若松問屋街通りというのがある。かなり地味な感じではあるがその名のとおり古い問屋がぽつぽつと残っている。昔はもっと問屋街らしかったそうだが、今見るとしょぼくれた感じしかしない。

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松山界隈にはこうしたDQNな若者の溜まり場となっているようなクラブや飲食店が軒を連ねている。昼間はいたって静かなもんですが…

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やけにメカニカルなデザインの壁が特徴的な建物。これもクラブか何かの店舗だろうか。建物自体は典型的な琉球式コンクリート建築。

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その向かいにはこれまた米軍基地を抱える沖縄らしくアメリカンな雰囲気全開なビリヤードバーがまるっきり英語オンリーな看板を掲げている。米軍統治時代の名残りはこうして今でも各所で目にする事が出来る。

こういう場所は昼よりも夜に来た方が面白いに決まっているだろうが、今回は時間の都合もあって昼間しか訪れる事が出来なかった。また次回の機会に。


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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