九州最後の炭鉱・長崎市「池島」 – 街から人が消えた…廃墟化した鉱員住宅群 

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長崎市 池島

裏側の高台に回ってみると8階建てエレベーター無し住宅の謎が一発で解決する。高台から住宅の5階に直結している橋が2つある。なるほどこれなら実質最大4階分登ればいいんだ…って、ここに来るまでの高低差は変わらないはずなのだが…まあでも延々と階段を登るよりは坂道の方が精神的な苦痛はだいぶ和らぐよな。

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団地内も立入禁止にされているが、裏側に回ってこの橋を渡ろうとしても駄目。バリケードで封鎖されている。それはしょうがないのだが…

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関係者以外立入禁止の注意書きが何故かインドネシア語併記になっていた。実は炭鉱閉山後の池島では「炭鉱技術海外移転事業」の一環でインドネシアとベトナムから炭鉱技術者を受け入れて研修の場として活用していたそうだ(現在は事業が終了している)。インドネシアではスマトラ島とカリマンタン(ボルネオ島)に炭鉱があるそうです。

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島の小中学校にはインドネシア人技術者の子供も通っていた時期があったらしい。という事は、閉山後もしばらくは日本人とインドネシア人の子供がこういう場所で遊んでいた時期があったかも知れない訳だ。しかしそうした外国人家族の姿もとうとう見かける事はなかった。

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この裏の高台から海側を向くと切り通しの通路があり、その奥から下へ降りる階段が続いていた。眼前には角力灘が広がり、階段の下まで降りると池島炭鉱の第二竪坑の入口へと続いている。坑夫達は団地から毎日この階段を伝って仕事場とを行き来していたのだ。

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しかし階段下を見ると蒸気管と思しきパイプが錆で劣化して無残に落下していて、階段を塞いでしまっていた。頭上にある「御安全に」の看板が妙に意味深に思えてくる。

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高層棟裏の階段が危なそうだったので引き返し、さっきの車道に戻ってそのまま道なりに進めば第二竪坑跡まで降りていく事が出来る。しかし途中の道も急カーブの下り坂で、地盤沈下か何か分からんがかなり凹凸が激しい。そのうち崖崩れを起こしたりしないだろうな。

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車道の行き止まりにはロータリーがあり、その中央に「慈海」と題された女神像が建っている。碑文には「永遠に池島の生命と幸福を守りたまえ」とあった。そしてその奥には巨大な第二竪坑櫓がしっかりそびえ立っていた。島にある2基の竪坑櫓が長崎県にあるものとしては唯一になる。

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第二竪坑跡の周囲には事務所棟や鉱員用大浴場などもあって、現在は閉鎖されていて基本的に中には入れない。将来的に大浴場は観光客向けに公開する事も検討中らしい。

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ここにも銅像がある。家族を守る坑夫のお父ちゃん、というのはひと目で分かる。軍艦島が閉山してからも平成の時代に入ってもなお、炭鉱で働く男とその家族の暮らしが存在し続けていた場所が池島なのだ。建物が崩壊してほぼ遺跡同然となった軍艦島以上に、炭鉱の島とはどのようなものなのか、その場でリアルに触れる事ができる。

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炭鉱ならではの「安全」「保安」の文字が躍るスローガン群。ガス突出やガス爆発、それに落盤など炭鉱に派手で悲惨な事故はつきものだが、池島ではこれまで人的被害の大きな事故は起こらなかったそうで。しかし2001年の炭鉱閉山の前年に大規模な坑内火災が発生し、長期間操業停止に追い込まれた。それ以前に日本の石炭は安価な海外石炭に押されていた事もあって、とうとう閉山という事になった。

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第二竪坑跡あたりからよく見える、池島の沖合に浮かぶ「蟇島(ひきしま)」。大蟇島と小蟇島の2つに別れているが、どちらも無人島。池島炭鉱の坑道は網の目状に海底深くまで掘り進められていて、あの蟇島の地下にも繋がっている。島には入気・排気竪坑などが残っているらしい。



九州最後の炭鉱・長崎市「池島」シリーズ

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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