九州最後の炭鉱・長崎市「池島」 – 街から人が消えた…廃墟化した鉱員住宅群 

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長崎市 池島

続けて鉱員住宅が立ち並ぶ一画を見ていく事にしよう。人口が最盛期で7500人だったのが、現在この島には僅か220人程度しか住んでいない。しかも住民票を置いているだけで実際には出稼ぎしている人の存在もあるそうなので、実質的な島の人口はもっと少ないと聞く。そんな島で団地が50~60棟くらいあったらどうなるか、言葉で説明するより写真でも見て頂いた方が早いだろう。

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中層棟30棟余りが密集するこの鉱員住宅群の一棟一棟がすべからく廃墟と化しているのである。炭鉱閉山前はこれらの団地にそれぞれ人の暮らしがあったはずだ。閉山から10年余りでこうなってしまった。

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建物まるごと蔦に飲まれていこうとしている住宅たち。池島炭鉱が操業開始したのが昭和34(1959)年なので、ここにある団地はそれ以後に建造されたものになる。昭和30年代後半から昭和40年代築といったところか。

長崎市 池島

廃墟としては13年物なので、バルコニーの手すりが一部崩落していたり、窓を塞いだベニヤ板が剥がれていたりする以外は建物自体の損壊は見当たらない。端島のように海が間近に迫っているという程でもなく、高台の上にあるので、塩害による侵食はそれほどでもないのだろう。

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あと気になったのが団地の建物に沿って張り巡らされた怪しげなパイプライン。炭鉱関連のものかと漠然に思っていたがそれにしても用途不明だと頭を捻っていたのだが、高台の下にあった火力発電所から生じた蒸気を有効活用する為にパイプで各家庭に蒸気を送っていたものだったようだ。湯沸し器に蒸気を使ってた訳ですな。

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この蒸気管の存在が廃墟化した団地にさらなる無機質感を加えていて、独特の雰囲気を放っている。ここは打ち棄てられた未来都市なのだろうか。凄く退廃的な絵になる事だけは確か。

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蔦にまみれた団地、伸び放題の雑草…僅か10年少しでもこれだけ自然の力に飲み込まれてしまう。これでも池島に来た時期が2月だったので、恐らく真夏に来た方がもっと鬱蒼としているに違いないだろう。もう人の営みも全くない小中学校前の団地の通り道。しかしこれでもこの道を時折トヨタハイエースの路線バスが時間通りに行ったり戻ったりしているのだ。もちろん乗客は居ない。

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さらに小中学校から西側へ歩いて行くとそこには同じく無人化した8階建ての高層団地群が道路沿いに連なってそびえていた。鳥肌が立ちそうな光景。軍艦島の密度の高さには負けるかも知れないがこの高層団地の威圧感もなかなか凄くないか。

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眼前に迫る巨大な団地群を前に開いた口が塞がらない状態になってしまいましたが…そりゃ7500人も住む場所を確保しなければならない時代もあったんだから、この規模の住宅があってもおかしくないですが…

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4棟並んだ高層棟の一番奥側に、路線バスの折り返し地点となるバス停が置かれていた。庇のついた屋根の下にバス停の標識と今にも壊れそうなベンチが置いてあるのだが、今も管理されているのか荒廃されている感じはしない。バス停には「神社下」と書かれていた。名前の通り、近くに池島神社がある。

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あとこの8階建て、内部にエレベーターが全く設置されていない。7階とか8階の住民でも1階から階段を延々と登って行かなければならないのか…と想像しそうになるが、よく見ると5階部分だけが廊下になっていて隣の棟とも繋がっている。この廊下が建物背後にある高台と直結していて、5階から直接出入り出来る仕組みになっている。

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九州最後の炭鉱・長崎市「池島」シリーズ

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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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