【宮崎市】南国宮崎で一番の歓楽街・西橘通り「ニシタチ」を歩く

宮崎県

我々取材班の中で宮崎市という土地は九州七県の中で最も電車で行きづらい県庁所在地であると認識していたので今まで来るきっかけもなかったのだが、大阪南港から毎日運航しているフェリーで一晩かけて宮崎まで来れてしまうのだった。まあ我々取材班は普通に車で延々下道辿ってここまで来たんですけどね。

宮崎市の中心市街地は宮崎駅から西へ1キロくらいの所にある。東国原県政の時期には観光名所になっていた宮崎県庁にも程近い橘通が宮崎の中心地らしい。宮崎県の県木であるヤシ科のフェニックスが延々と中央分離帯に植え付けられているのが宮崎の特徴。この風景をひと目見るともう宮崎以外思い浮かばん。

この橘通周辺が宮崎で最も都会らしい風景を見せる一帯だが、歓楽街的なものは橘通に並行して西側に伸びている西橘通り、通称「ニシタチ」と呼ばれるエリアを中心に広範囲に密集している。東京の皆さん西立川の事ではありませんよ。西橘通りです。まずは橘通に面したアーケード商店街「一番街」から入っていく事にする。

それはそうと我々が訪れた時期にちょうど宮崎市内では夏祭り「えれこっちゃみやざき」開催期間中で商店街には学生っぽい若い男女やらヤンキーっぽい男女などがわらわらと集まっていて随分アレな事態になっていた。

一番街アーケードを途中で左に折れると「ニシタチ」こと西橘通りに入る。歓楽街のメインストリートとなっている訳だが実際にはその周辺の通りもかなり発展度が高い。住所で言うと宮崎市中央通、橘通西、上野町に跨っている。

地元ではこの「ニシタチ」の名称を知らなければ宮崎では生きていく事が出来ない程の存在であろう。博多で言う中洲・天神、鹿児島で言う天文館と同じようなもんだ。

夜はヤンキー多すぎでカメラ出せなかったので朝に出直してきた。古今東西どこの街でも夏祭りって何でどこからともなくDQNが湧いて出てくるのだ。ほんまかなわんわ。で、のっけから柳並木で艶っぽさ全開の西橘通り。整備された昭和30年代当時の東京銀座を模して柳並木を植えたらしい。

そんなニシタチには暴力団追放関連の垂れ幕が等間隔にいくつも張り巡らされている。やっぱり893屋さん多いんでしょうか。

居酒屋やら飲食店やらスナック、それにキャバクラやら風俗店などが渾然一体となっているのがニシタチの特徴。当然ながら無料案内所もあちこちにある。

怪しさ満開なソッチ系のお店の看板もそこらの居酒屋と同じように並んでいる。夜ともなればかなりの数の客引きが群がり素通りするだけでも結構面倒臭い。

全体的にお下品モードな街並みの西橘通りだがこんな渋過ぎる外観の赤レンガ酒場も残っていたりする。「洋酒天国」と「トリスバー赤煉瓦」。

地元のニシタチまちづくり協同組合のサイトの記述によると、西橘通りが歓楽街化したのは戦後の昭和30年代。元々は旧国鉄寮跡地で空き地が広がっているだけの場所だったそうな。

この赤煉瓦は昭和31(1956)年に建てられたもので西橘通りでは最も古い酒場になっている。

どこの店も全体的に怪しいよなあと思うが「わくわくエンジェル」(笑)やっぱりピンサロだったようです。田舎だと思ってたけどソッチ方面は無駄に充実している気がする。

ちょくちょくとアレな店が点在するニシタチ自体も面白いのだが、実はこの西橘通りを南下した上野町がソープ街。さらに上野町の奥に入っていくと現役のちょんの間地帯という香ばし過ぎる歓楽街なのだ。これらも全部ひっくるめて「ニシタチ」呼ばわりする向きがある。

ニシタチの名称の元となった西橘通り以外にも繁華街は縦横無尽に広がっている。一番街アーケードを抜けた先のあたりにやってくるとそこには前宮崎県知事東国原英夫氏のイラスト。退任してからも依然存在感が強い。良くも悪くも宮崎県のPRに多大な貢献をした人物とも言える。そのまんま東と呼んでいた頃が懐かしいわな。

そんな東国原前知事が出迎える交差点の角を右に入ると中央通り。居酒屋密集地帯。黒霧島のネオン広告が旅情をもり立てる。やっぱり九州は焼酎王国ですね。しかし祭りの開催期間中ともあって酒も飲めなさそうな未成年のガキンチョが我が物顔ではしゃぎ回っていて何とも居づらい…

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