【震災から4年】福島第一原発から16キロ…「南相馬市小高区」はどうなっているのか

福島県

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福島県南相馬市 小高区

相変わらず無人地帯の市街地にある南相馬市小高区役所。ここには職員が常駐しているようで駐車場には多くの車が停められている。

福島県南相馬市 小高区

その駐車場の傍らには線量計が設置されている。原発事故後の福島県内各地ではこのような線量計があっちこっちに置かれているのだが、原発からの距離が僅か16キロしかない割に空間線量は少なく、0.096マイクロシーベルトを示していた。あの事故の時に飛散した大量の放射能物質は北西方向に流れていった。なので、海沿いよりも山側に汚染地域が拡大している。逆に原発から40キロも離れた飯舘村あたりは未だに避難指示区域を解除されていない。

福島県南相馬市 小高区

こうしたガソリンスタンドも全く営業していないし、国道6号に出て行っても見慣れたロードサイド型店舗の数々も全て営業を取りやめたままになっている。それに対して、車で10分ちょい走った所にある同じ南相馬市の原ノ町地区は全く元通りの生活が送れている。

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さすがに倒壊家屋が道路を塞いだままという状態は無くなっているが、よく見れば倒れたブロック塀が歩道の上を塞いだままになっていたりもする。

福島県南相馬市 小高区

次にやってきたのが、公立学校がいくつも建ち並んでいる市街地の南西側。ここには市立小高小学校、中学校、県立小高工業高校、小高商業高校とそれぞれ学校の敷地があるが、無論のことこれら全て学校の再開はできない状態。小学校と中学校は避難住民ごと移住している南相馬市鹿島区に仮設校舎を建てて運営しているようだ。

福島県南相馬市 小高区

小学校に隣接する児童公園も全く人の出入りが無くなったせいで雑草が伸び放題で、下手に足を踏み入れると足元がやたらぬかるんでいて、うっかり滑ってしまいそうになった。ゴーストタウンというのはたった4年足らずでこうなるものかと実感させられる。

福島県南相馬市 小高区

小学校の隣には一回り広い校庭を持つ福島県立小高商業高校があるが、そのだだっ広い校庭には無数の黒い袋がずらりと陳列されているのが遠目に見える。街中では似たような形の、背丈程あるような巨大な袋をいくつも見かけた。除染作業の結果街のあちこちから掘り出された、放射能に汚染された土を入れた袋(フレコンバッグ)であるという事はすぐに分かった。

福島県南相馬市 小高区

大量の汚染土を袋に入れて処理するだけでも目一杯で、このように野晒しにするしかないのが現状のようで、福島県内にはこのようなフレコンバッグが約14万個使われているといい、一部は耐用年数を超えて劣化し始めていて、袋に亀裂が入ったり、草木が伸びて袋の表面を破ったりしているものもあるとか…

福島県南相馬市 小高区

ここの場合は広い校庭に平積みにされているが、スペースが足りない場所では数段重ねで置かれている事もあるらしく「黒いピラミッド」だとか呼ばれているそうで、むやみに近付くと被曝しかねない。こうした忌々しい放射能事故の負の遺産は、今の世代で消しきれるものであるとは到底思えない。恐らくは代々続く事になる禍根となるのだろう。

福島県南相馬市 小高区

小高区の将来の定住化に向けて、この校庭に置かれている汚染土も別の置場に運ばれる予定にはなっているようだが、当分はこの場所が「一時集積場」という事らしい。

福島県南相馬市 小高区

小高商業高校の向かいにある農地。今後この場所に安全に作物を植えられるようになるのはいつの話になるのだろうか。

福島県南相馬市 小高区

国道6号の年中通行可能に次いで今年3月に常磐線の全線開通が予定されていて、道路網の方は復旧の目処が付いているが、現在も運休が続いているのが常磐線。竜田駅~原ノ町駅間の不通は未だに解除される見通しは立っていないようで、この区間は代行バスが1日2本走っているものの、小高駅を含めた途中区間は全て素通りする事になっている。

福島県南相馬市 小高区

最後にやってきたのが、小高区の中でも津波被害をモロに食らった沿岸部の村上、角部内の両地区。小高区の市街地よりもさらに福島第一原発からの距離が近く、直線距離で約13キロしか離れていない。国道6号からこの地区へ向かおうとするが、あちこち道路工事中になっていて何度も回り道をしながら来る羽目になった。ここも陸前高田の奇跡の一本松のように、僅かに流出を免れて枯死した松の木が2本ばかり残っていた。津波に流される前は松林が広がる一帯だったという。

福島県南相馬市 小高区

小高区の沿岸部は、地震、津波、放射能のまさしく三重苦であり、他の津波被害を受けた沿岸部の街が復旧に向けて動き出しているのに比べると、殆どが手付かずのままで、津波で破壊された家はおおよそそのままの状態で放置されている。

福島県南相馬市 小高区

村上地区では津波による被害で62名の犠牲者が出ている。たまたま見かけた、土台を残して全て流されて門柱だけが残された民家の表札にあった氏名をネットで検索したら、やはり犠牲者のリストに含まれていた。非常に生々しい。

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2015年2月現在、一般人が警戒区域を避けて立ち入り可能なのは南相馬市小高区から北側、それから双葉郡富岡町から南側。全線通行可能となった国道6号も、福島第一原発を中心とした14.1キロの高線量地域は自動車しか通行ができず、浪江町、双葉町、大熊町の三町にあたっては街への立ち入りはおろか途中停車すら不可能。

福島県双葉郡浪江町

参考までに、国道6号の避難指示区域(42.5km)を時速40キロで1回通行した場合、窓を閉め切って内気循環にした車内の平均被曝量は、1.2マイクロシーベルト程度という。年に数回程度の通行なら、恐らく健康被害の心配はないだろう。国道沿いには沢山の防護服に身を包んだ警備員がバリケードの前で警備に当たっていた。帰還困難区域へは、部外者の立ち入りが無いよう24時間監視し続けなければならない。これはこれで、大変な仕事である。

今回の被災地訪問、少なくとも小高区に関しては、復興というにはあまりにも程遠い光景が広がっていた。これが震災から4年近く経った被災地の現実…


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