夏目漱石にも書かれたかつての松ヶ枝町遊郭跡・ネオン坂歓楽街はもうこれ以上ない程に寂れるに任された状態で、ネオンサイン轟く道後多幸町の隆盛とは裏腹に暗い町並みを見せつけていた。
もう死んでしまったらしい街だが、それでもまだまだ見所は多い。宝厳寺へ一直線に伸びる参道の坂道を外れた所にまだ沢山の妓楼が解体の時を待つかのごとく立ちすくんでいるのだ。もう少し隅々までネオン坂歓楽街の姿を目に焼き付けておきたい。
老朽化甚だしい妓楼は次々解体工事が進められ数を減らしている。ちょうど我々が訪れた時もこのような解体現場が見られた。取り除かれた建物の跡から見えたのは隣接する3階建て元妓楼の側面だ。壁の内装材が剥き出しになっていた。
再度、ネオン坂の下へ降りて宝厳寺の石碑の裏手から伸びる路地に野良猫の如く立ち入ってみた。まだこの付近にはかつての色里の残り香が漂っている。あと結構人が住んでる家も多いし。
路地裏に並ぶこうした古い木造家屋も以前は妓楼として役目を果たしていたのだろうか。そして夜の路地には男の袖を引っ張る遊女の姿があったのだろう。今では原住民のお婆さんくらいしかいません。
西から東へネオン坂の坂道が走る宝厳寺参道の南側、山肌に沿って並行する路地に入ってみる。妓楼の廃墟がこの路地に沿って何軒か連なっているのだ。程なく2階部分が大きくせり出した、これも元妓楼らしき家屋が現れた。
そこからさらに進むと先ほどの解体現場を裏から回る形になる。解体された建物の裏手にある3階建て妓楼は遠目で見ると物凄く立派過ぎる。戦前はこの場所が今で言う道後ヘルスビルあたりの位置付けにあったんだろうなと勝手な妄想を広げてしまいそうになる。
間近に3階建てを眺める。すこぶる威圧感ドーンといった感じだがよく見ると板張りが腐ってしまい屋根も剥がれていてブルーシートが被せられていた。この建物もご臨終が近いようです。
で、その元妓楼の玄関付近。老いさらばえた身とは言えどもまだまだ豪華絢爛さは損なわれてはいない。2階の丸窓がアクセント。遊郭現役時代にはさぞかし大きな店だったんだろうな。
さらに側面の抜け道から建物の裏側に回る事が出来る。廃屋っぽい建物だが、2階と3階部分のガラス戸は破れていない。どうも中庭があるっぽいけどここからでは中が見えない。これだけの建物が放ったらかしにされてるのってかなり残念だ。
事前情報ではネオン坂は見た目には壊滅状態に思えるが、実はこっそり「営業」している店が最近まで存在していたらしい。それがどうにも気になって夜遅くに訪問したのだ。
夜のネオン坂歓楽街。長年掛かっていたネオン坂の名を記すアーチも取り外されてしまい現在ではこの通り真っ暗。ああ悲惨なり。とりあえず坂を登ってみて営業中の店舗を確認する事にしよう。
確かに坂の下の方に何軒かあるスナックは明かりを灯していた。色つきのガラス戸を通してスナックの中から紫色の明かりが周囲に漏れている。そこはかとなく怪しい。しかし出入りする男の集団もいないし客引きといったものもない。
ずんずん坂を登ってみるが上の方は完全に真っ暗闇でご臨終状態。もう無駄足かなこりゃ…と思っていたのだが…
坂の中程にある「ビジネスホテル」の建物に注目すると、開きっぱなしになっている勝手口から何やら慌ただしそうに男性従業員が出入りしているのが確認出来る。もしや業者か何かだろうか。ひと気があるのはせいぜいここくらいで、他は本当に誰もいません。…という訳で探索終了。確かに「ネオン坂」は死んでいる。
ネオン坂の名称が消えてしまった現在、この坂は宝厳寺が鎌倉時代の僧侶・一遍上人生誕の地である事に因んで地元協議会により新たに「上人坂」の名称が付けられている。売防法施行後見捨てられてきたかのような地域を再生させようと頑張ってるそうです。健全な観光地に生まれ変わりそうでよかったですね(棒読み)