丸亀駅の真ん前に広がる元遊郭の道を突き当たった所に一寸島(いつくしま)神社がある。ここがまた強烈なビジュアルで、一目見た瞬間に開いた口が塞がらなくなる。
なにせ神社の参道がこの状態だ。境内の参道両側にバラック家屋が隙間なくびっちり詰まっているのだ。本来は神聖なはずの神社の境内が、どうしてこうなった?!
あまつさえ参道前の鳥居の一部はバラック家屋にめりこんでしまって建物と同化しているのだ。古びたトタン板から滲み出る錆色が鳥居にまで浸食している。
ただ見ている限りこれらの建物は廃屋同然の状態となっている。やはり見た限りでは昔ここに人が住んでいた様子がありありと分かるのだが、一応この場所も駅前だし、よくある「戦後のドサクサ」的展開なんでしょうかねえ…
よく見ると家屋は参道に面した部分が店舗になっているのだ。「美術品商」と書かれている照明カバーが取り付いているので気づいたのだが、つまりこの参道に面して土産物屋が形成されていたようだ。
豪快にバラックにめり込んだ鳥居には元禄だの嘉永といった江戸時代末期の年号が刻まれている。これを見ても相当年数の歴史がある神社である事が推し量れるが、それにしてもこの放置プレイっぷりは痛い。
他の家屋もよくよく見れば元店舗でしたと言わんばかりの佇まいを残している。しかし廃墟化のためか荒れ気味で、とても神社の境内とは思えない。よっぽど神社の関係者がおおらかなのか大雑把なのか知らんがこの状態が許されているとはある意味凄い。
拝殿に真っ直ぐ伸びる参道の所々にバラック家屋を跨いで取り付けられた屋根が骨組みだけとなって残されている。人っ子一人居なくなっているが、それこそ昔なら駄菓子屋でもあってガキンチョが群がっていた光景を想像する。
本当に廃屋ばかりなので、少し心が痛む風景でもある。そもそも神社として建物を取り壊す予算もないのか、その気がないのか定かではない。
バラック家屋の作りから見ても多分昭和30年代くらいのものだろうか。元は鳥居の一部だったであろうコンクリートの柱だけが建物の隙間に残されていた。
拝殿の手前に辛うじてトタン屋根が崩壊せずに残っている部分がある。一軒だけ廃屋ではない普通の家が建っているが、ここは恐らくは神社の地主が住んでいる家屋だろうか。
こういう状態なので近所の悪ガキか何かが不法侵入する事もあるのだろう、無断立入りを禁止しますと書かれた張り紙があったりもする。
バラックを抜けた先に拝殿。さすがにこの周囲だけはバラック家屋に取り囲まれてはいない。それにしても「一寸島神社」の読みが分からず、最初は「ちょっとじま?」などと思っていたが境内には「厳島神社」の表記もあり、読みは「いつくしま」で正しいそうだ。
拝殿の前まで来てバラックだらけの参道を振り返る。改めて凄い光景だ。やはり遊郭とともに歴史を刻んできたのだろうか、お役御免となると軒並み廃墟と化した妓楼と同じ末路を辿っているかのようだ。
神社の参道にずらりと並ぶバラック群はその多くが土産物屋だったようだが現在は参拝者の姿もなく商売を辞めて廃墟状態になっていた。かつての四国一の港町としての栄華の名残りか、決して広くもない神社境内に隙間無く密集するバラックは戦後特有の事情を想起させるに充分な貫禄がある。
一寸島神社のバラック家屋は何も参道だけに限らない。拝殿前から南側に抜ける狭苦しい路地の中にもびっしりと連なっている。いわゆる文化住宅的佇まいの長屋は今も人が住んでおり、張り出した2階部分のバルコニーから洗濯物が窮屈そうに出ている。
そして狭い路地裏が大好きな猫の習性は全世界共通。真っ白な毛並みの猫、お前は神の使いなのかそれともただの野良猫なのか。
戦後の貧困を60年余り経っても引きずっているかのような路地を抜ける。雑然と置かれた家財道具などがなおさら道幅を狭くしている。火事でもあったらどうするんだろうなこれ。よく見たらコンスタントに廃屋も混じっている。
また「参道」から脇道に入ったあたりにも別の路地が隠れていて、負けず劣らずの古びたバラック家屋がそちらこちらに突っ立っているのだ。もはや「三丁目の夕日みたいですね」とかそんな甘ったれた話ではないぞ。鈴木オートもビックリだね。
参道裏手の路地は複雑に折れ曲がって奥へ続いている。残念ながらこの辺の家屋はオール廃屋状態で手入れが行われておらず荒れるに任されていた。昼間でも何か出てきそうな雰囲気だ。
神社の境内に家を建てて住んでいた訳アリな人々は今はどこでどう暮らしているのだろうか。もぬけの殻となった家の数々に今も残る生活の匂い。
廃屋の窓ガラスからガラクタまみれになった部屋の中が見える。さっきから人の気配は全くない。住んでいるとしたら野良猫くらいのもんか。
見ての通りかなり粗末なバラックである。いつ自然崩壊してもおかしくない状態だ。2階部分のバルコニーに枯れ木が絡まっている。
別の廃屋を見ると壁が崩落していて建物内部が丸裸になっていた。まかりなりにも県内主要都市駅前の物件でこのクオリティはなかなか見当たらないなあ。
さらに奥へ入るとまたしてもバラック家屋が向きあう路地が伸びていた。さっきの路地以上に狭いんですが…お化けよりもヤーさんが出てきそうで怖いのでこれ以上の深入りはやめときます。
最後に境内を外れて参道脇からバラック家屋を眺める事にしよう。神社の玉垣に沿ってギリギリまでバラックが建っている。裏から見てもやっぱり壮絶なんですけど。一部、建物の構造物が玉垣の上に乗っかってるし。
あくまでこれは推測だが、戦後の混乱期にひとまずの救済措置として神社の地主が良心を働かせて、土地を失った人々を集めて境内に家を建てさせたとか、そういう事情があったのかも知れないし…でなきゃ、なかなかこんな事にはならんだろ。
ちなみに丸亀市は戦時中空襲には遭っていない非戦災都市なのだが、遊郭だったという土地の特殊性から有象無象の流れ者が寄り付く素地があったのではないかと。それ以上は想像の域を超えて分かる事もない。