【沖縄ダークサイド】真栄原に次ぐ沖縄の裏名所「コザ吉原社交街」はどうなっているのか

沖縄市照屋の「銀天街」からコザ十字路の対角線上にある美里地区。ここは戦後成立した米兵向け歓楽街であった照屋から追い出された白人向けの店舗が新しく特飲街を建設した所で、それがいつしか白人から琉球人相手の「ちょんの間」へと発展した。

ここは沖縄では宜野湾市の真栄原社交街と並ぶ大規模ピンクゾーンでその名が知れ渡っていた。東京の吉原遊郭の名前を借りて、そのまま「吉原」という地名が付けられた一帯だ。正式には沖縄市美里一丁目だが、吉原の名前は交差点名にもはっきり書かれている。

国道329号から「吉原」の路地に入っていく。のっけからスナックやバーが密集しているが、どこかしら雰囲気が怪しい。それもそのはず。成り立ち自体が「特飲街」として建設された場所だからだ。

照屋の黒人街だけではなく、街から少し離れた八重島地区にも米兵による婦女暴行や性犯罪を封じ込める為に作られた特飲街があったが、それも白人と黒人とのトラブルが多発し、その後の規制もあって頭を抱えていた経営者達が一斉に吉原に移転してきた。

コザの吉原も当初白人向け風俗街として作られた場所だったが、間もなく性病の蔓延を危惧した米軍側がAサイン制度やオフリミッツ区域指定などの「規制」を始めた事でたちまち商売が成り立たなくなり、それから琉球人向けにターゲットを変えたそうだ。

もともとは米軍のゴミ処理場跡だったという小高い丘の上には怪しげな佇まいのスナックが住宅街などに紛れて路地の至る所に密集しまくっている。1972年の日本復帰までは本土の売防法の適用もなかったが、復帰後も10年間の猶予期間が与えられ、その間も赤線地帯として栄えた。

しかし実際には猶予期間が終わった後もちょんの間地帯として「営業」が続けられ、真栄原社交街と並ぶ悪所として名を轟かせていたのだ。沖縄市美里一丁目のわずかな区画に100軒以上ものスナックやバーが集まっている。

で、吉原の路地を歩いていると真栄原社交街と同じように古い琉球家屋にいくつも不自然なガラス戸が連なっている光景が見られる。もう完全にソレだと見て分かる状態である。

コザ吉原では真栄原社交街と全く同じで「15分5000円」という激安価格で遊ぶ事が出来たらしい。だがそれらの店もどれ一軒として開いている店がない。

現役時は真栄原と同じく「24時間営業」でいつ訪れても春をひさぐ女の姿が見られたというが、何と真栄原社交街を潰したフェミプロ市民の影響かこちらも2010年に大規模な取り締まりに遭ったせいで壊滅させられたというのだ。なんてこったい。

なので今この街を訪れても半ば廃墟のような佇まいを見せるスナックの残骸が拝める程度で、何とも悶々とした気持ちにさせてくれる。

ごく一部の店舗は玄関口を開けてはいるが、元通りの「商売」は既に行っていないようだ。真栄原社交街も散々な結末だが、こちらも似たような感じになっていた。それにしても粗末過ぎる建物から放たれるダークなオーラは異常。

いくつも同じ建物に異常な数の扉がある店は、間違いなくソッチ系のご商売の為の仕様だ。ただ女性の姿はどこにも見かける事がない。やはり終わってしまったのだろうか。

現役時代の光景が簡単に目に浮かぶ、ガラス戸がずらりと並ぶ「飾り窓」的な一画も。そう遠くない過去に、この場所でも生々しい明かりが毎夜灯っていたのである。

どこを歩き回っても、我々の他に通行人も殆どいない。明らかに「商売」をしていたっぽい建物が目についた。カーテンがいちいちピンク色なので、看板を掲げてなくとも判別できる。

しかしその店の玄関口には「Sorry, Japanese customer only」と外国人を追い払う言葉が記されていた。よく見たら18禁マークのステッカーも貼られてましたね。

「吉原社交業組合加盟店」と記された看板。

「吉原区自治会 社交業組合」と書かれた古い事務所とみられる建物も残っていた。

「WELLCOME」はよく見かけるが「WELECOM」と書かれているのは初めて見たぞ。これが沖縄県民の怒涛の英語力!せっかく米軍基地もあるんだしもう少し英語の勉強くらいしようよ。

通行人の姿は皆無だが、時折所在無げに車を走らせている男の姿もあったり、至る所にタクシーが止まっていたりする所を見ると、100%壊滅している感じではないようだ。真栄原は完全にアウトだったが、ここは未だにこっそりやっているのではないか?と勘繰ってしまう。

念のために吉原には昼夜両方訪れたのだが、見た所「死んでいる」印象しかなかった。それでもやはり店を探している人間が運転していると見られる「不審車」の姿はぽつぽつ見かけられる。

迷路のようなスナック街の路地を走り回ると再び国道329号に戻ってきた。吉原交差点から少し北側の「越来」交差点だ。元はコザは越来村と呼ばれていた。戦後に米軍基地が出来るまではただの田舎の村でしかなかった場所だ。

沖縄随一の売春街だった場所から国道を挟んだ真向かいにはレトロな散髪屋と、越来小学校の校舎が見える。なんとも素敵な教育環境である。大人達の「臭いものに蓋」の姿勢はコザのDEEPタウンを生きる子供達の目にはどう映るのだろう。

何よりも悪所を街から駆逐したところで、寂れていくしかない街がますます寂れ方を加速させるしかないという結果が待ち受けているのは明らかである。コザ十字路の将来は果たして…


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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