戦後の沖縄・幻の赤線地帯…コザ保健所通りの「ウィスパーアリー」を探す 

沖縄市

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米兵を相手にするアンダーグラウンドなちょんの間地帯「ウィスパーアリー」がある場所と聞いて、何となくゲート通りと中央パークアベニューの間にある保健所通りの周囲を歩き回っているが、それらしい場所を見つける事が出来ずにいた。

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保健所通りの名前の元となっている保健所が建っていた跡地は今ではだだっ広い空き地になっていた。その向こうの住宅地と、やけに巨大な亀甲墓が目についた。さすが沖縄らしい珍風景。現地人は珍しくともないだろうが、亀甲墓を知らない内地の人間には結構強烈な印象を与える。

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近づいてみると、そのあまりの大きさにびっくり。墓というかちょっとした古墳みたいなノリだ。

沖縄の亀甲墓の形状は「子宮」を意味する。死者は再び生まれた所に戻るとされる死生観に基づいているのだ。毎年4月初め(旧暦3月)の清明祭では一族郎党墓の前に集まってどんちゃん騒ぎをするという文化も、沖縄独特。

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保健所通りの裏手には普通の住宅地に混じってこのような亀甲墓がいくつか残っている。こういう何の変哲もない場所にデーンと墓が置かれているのも、沖縄ならではといった所だ。

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まるごと金網で封鎖された亀甲墓もあった。単に使われなくなったものか、よそ者の出入りを防いでいるのか。内地の人間から見ると考えられない土地の使われ方をしている。

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で、再び保健所通りへ戻る。駐車場と化したかつての保健所の正面にはスーパーマーケットと、沖縄市テレワークセンターの建物がある。2000年、廃業したコザショッピングセンターを改装して大規模なコールセンターのオフィスに作り替えたものだ。(→詳細

企業のコールセンターに電話したら応対者に沖縄の苗字がやけに多いと感じるのは沖縄の雇用事情の厳しさからだ。雇用も経済も米軍基地に依存してきたコザにとって、日本中どこにあっても業務が可能なコールセンターは、基地以外で大きな雇用を生み出す基になる。沖縄県内でも誘致が盛んな業種の一つだ。

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コールセンターの誘致も空洞化した街の穴埋め対策の一つなのだろうが圧倒的に寂れまくった街が広がっているコザの中心地。で、ウィスパーアリーがどこにあるのか見つからない。

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保健所通り沿いのセンター公民館。「青少年の健全育成」に気を揉んでおられるようです。だって目の前に米兵の溜まり場やらちょんの間ゾーンなどがある立派な教育環境だもの。そんな街からオレンジレンジが生まれたのだ。

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公民館横には何やら近所の小学生が書きました的な絵が大きく描かれてあった。ちゅらさん運動の推進。青少年に大きな夢を。

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こういうものは日本全国どこに行っても変わらない。おおよそ日本らしくないコザという名前の街ですら、こういう所だけはやけに日本らしさを感じる。

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ちゅらさん運動ってこういう事らしいです。地域の連帯とユイマールの再生。実に沖縄らしいスローガンである。

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そのまま保健所通りを突っ切ると最初に訪れた中央パークアベニュー(旧BC通り)に合流する。やはり英字で書かれた店の看板が目立つ。廃業している店だらけだが。

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ゴミ収集カゴの表記も英語だった。っていうか日本語表記がないのだが。この地域は一体どれだけ外国人率が高いのだろう。

沖縄市 コザ

結局二度目の訪問時(2013年)にウィスパーアリーの場所がどこかようやく分かった。「サンシティ」のアーケード街を外れたこの場所ですね。目印に謎の錆びた鉄のゲートがある、この路地をそう呼んでいたらしい。

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当方が訪れた時に参考にしたこちらのサイトに記されている「小さな扉がいくつか並んでる不思議な建物」とやらは、一部解体されて駐車場になっているが、恐らくこの辺りが匂いますな。扉が三箇所、木の板が打ち付けられて開かずの扉になっている。しかし本当にこのくらいしか赤線跡らしい佇まいは残っていないようです…


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