基地の街・コザの激寂れアーケード街…沖縄市照屋「コザ銀天街」界隈を歩く 

<4ページ目を読む

沖縄県 沖縄市

沖縄市照屋、コザの二大繁華街の一つである銀天街界隈が戦後は「黒人街」だったという話を聞くと、ただ寂れてしまっただけの商店街にかつてどのような風景があったか俄然好奇心に駆られてしまう。戦後間近に米兵の盛り場となったこの界隈の中でも、とりわけ銀天街のアーケード(旧本町通り)の西側には沢山の連れ込み宿がひしめいていたそうだ。それが現在ではどうなっているか、街並みを見ていく事にする。

沖縄県 沖縄市

確かに現在でもその場所はスナック街として概ね機能しているようだが、商店街の活気がないのと同様、淋しげな印象だ。ただ建物だけは圧倒的に古い。恐らく当時のまま建て替えられずに残っているものが多いだろう。

沖縄県 沖縄市

しかも所々空き地と化していて軒並み駐車場になっていた。それでも古い琉球家屋がオンボロコンクリート家屋と混じり合って街並みは昔のままといった印象が強い。

沖縄県 沖縄市

国道330号に面した路地にもスナックがひしめいている。スナックの店舗の多さだけは沖縄のどこの街に行っても共通している。

沖縄県 沖縄市

で、そのスナック街の一角もやはり空き地になっている。

沖縄県 沖縄市

あまつさえその空き地の端っこには地デジ化で使われる事の無くなったアナログブラウン管テレビがこれでもかと廃棄されている。これは日本中どこの街でも見られるトレンディな光景。

沖縄県 沖縄市

アーケードを外れた所にもまだまだ商店街の跡が残っていた。さぞかし銀天街の繁栄は凄まじかったのだろう。街から米兵の姿が消えるとともに次第に活気も失われていったようだ。

沖縄県 沖縄市

以前はソッチ系の宿だらけだったらしい区画も概ね住宅街に変わっている。でもこんな色遣いの蛍光色マンションはさすがに沖縄以外では見た事がないなあ。

沖縄県 沖縄市

マンションの玄関付近に植えられたサボテンの成長具合が凄い。もしかして日本返還前からこの街を見守っていたのだろうか。

沖縄県 沖縄市

スナック街に意外に多いのが「CUSTOM TAILOR」の店舗。つまりテーラーショップ、仕立て屋である。日本返還前のコザにおいて、琉球人の仕事の一つとして仕立て屋があった。なにせバーの次に仕立て屋が多かったというのだから凄い。

当時の琉球人の人件費は安く、米兵がアメリカ本国でスーツを仕立てるよりもこっちでやった方が安上がりだという事で繁盛したらしい。

沖縄県 沖縄市

かつての仕立て屋の跡も今ではしょぼくれた一軒家でしかない。妙に生活感のある物干し台とプラスチックの椅子が玄関前に置かれている。

沖縄県 沖縄市

ここ銀天街近くのスナック街は明らかに黒人街の名残りで続いているものだ。

米兵の駐留が始まった1950年代に白人兵と黒人兵の間で縄張り争いが起き、後に照屋は黒人向けの歓楽街に、そして追い出された側の白人兵はコザ十字路の対称位置にあった美里地区に移転し、肌の色による棲み分けが進んだ。

それがどういう訳か日本人向けの遊興街である「吉原」に化けてしまった。ちなみにその後の白人街はゲート通り付近に移る事になる。

沖縄県 沖縄市

黒人街である照屋にもし白人兵が紛れ込んだら、黒人兵が群がりたちまち袋叩きに遭ってしまう。その逆もあった。当時の琉球警察でも歯が立たず、米軍のMP隊が自警団のような立ち位置で街をパトロールし治安の維持に当たっていたという。

そうした黒人と白人の争いや犯罪に巻き込まれながらも泣き寝入りするしかなかった地元琉球人が長年フラストレーションを貯めこんでとうとう爆発させたのが1970年の「コザ暴動」だ。


The following two tabs change content below.
新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
トップへ戻る
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.