陽暉楼があった土佐随一の遊郭が今では…高知市「玉水新地」を歩く

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明治時代から色街として開けた高知の「玉水新地」は戦後の売防法施行後寂れたようだが今も地元の老人相手に旅館が「現役営業」しているという話も聞くすこぶる胡散臭くレトロな昭和の街だ。

旅館日高の角を折れて路地に入るとまたしても戦後のドサクサ臭漂うオンボロ長屋酒場の建物が見られる。もう既に死に体となっている訳であるが…

左から三軒目までは店それぞれに個性の違う壁一面の豆タイル張りがあしらわれていて非常に素晴らしいのだが、三軒とも全滅している。

しかし右端の店だけは生存している模様で店の中からラジオの音声が聞こえていた。スタンド夏子。…もうこれ以上何もないみたいなので土手の前まで戻りましょう。

土手の上下の高低差がひと目で分かる、なかなかいいアングルですね。やっぱり土手の上か下かで店のランクが決まっていたとか、そういう取り決めはあったんでしょうかね。みすぼらしいあばら屋のような飲み屋街が土手下の一帯に残っているので見に行きましょう。

旅館街から路面電車の走る国道33号に抜ける路地の両側にオンボロ飲み屋街の残骸らしきものが残っている。人通りもなく繁華街らしさは皆無である。

路地に並ぶ古い家屋の数々もどこかしら怪しげな佇まいを残している。昔は何か商売されていたんでしょうかね、ここらへんも。

古びた街並みに古びた酒屋が一軒ぽつんと残る。さぞかし昔は繁盛してたんでしょうなあ。

酒屋の隣に残る妙に間口の狭い一軒家。ここも何かの店だったのか、テント屋根が剥がれ落ちている。

国道33号の電車道に出るまでの間、路地の風景はずっとこんな感じ。昔はここが遊郭へ向かう客を相手にしていた呑んだくれ横丁だった事は想像するに容易い。

随分煤けた佇まいの呑み屋の建物。トランプの柄なのに店の名前は何故か「カラス」。雰囲気がすんごく怪しいです。

国道に近づくにつれ昭和枯れすすきなスナック横丁が現れる。人通りもないゴーストタウンみたいな場所なのにスナックだけはやたら多いというのがね…

国道に面した一画。粗末なプレハブのような建物の酒場が連なる。乙なネーミング「晩酌道場」。二階建てにしては随分低い建物であるが二階部分はもしかして人が住んでいるのだろうか。

晩酌道場の脇から入れる細い路地裏の風景は芸術的にすら思える。両脇からツーンと伸びる臭突が怪しい路地裏に華を添える。昭和の貧しさがこの土地にはまだ生きているようだ。

土佐電鉄伊野線の路面電車が往来する国道33号。伊野線は後免線と直通運転しているので、時折「ごめん」と書かれた方向板を付けた電車が走り抜ける。かつては玉水新地で遊んだ男どもが帰りの電車の中で良心の呵責に駆られ家で待つ妻に「ごめん」と心の中で思っていたのだろうか。

試しに日が暮れてから玉水新地の旅館街を訪ねてみた。昼間はあれほど商売っ気もなかったはずの旅館がどれも怪しく外灯を光らせて客を待ちかねている。開け放たれた玄関口には婆さんが椅子を置いて座り込んでいる光景も目にした。まさか、まだ「現役」なんですかここ…


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新日本DEEP案内およびDEEP案内シリーズ管理人兼編集長。2007年「大阪DEEP案内」開設、2008年「東京DEEP案内」開設、2009年「日本DEEP案内」開設、2010年「世界DEEP案内」開設、2013年「新日本DEEP案内」開設。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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